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将来を固定せず、全方位で粘り強く

ヒューマンネットワーク 中村総合法律事務所 中村 雅人

 依頼文のタイトルに驚いた。「歴史のリレーランナー」とは大それたコーナーだ。
 まだ歴史上のランナーになったわけではないし、これからもそうであろう。したがって、50年弁護士として何をしてたの?を語るにとどめる。

1 スモン訴訟と私
 1975年私は弁護士になると同時に未曽有の薬害スモンの東京弁護団に加えていただいた。ほとんどの時間を弁護団の皆さんと過ごし、学ばせていただいた。
 スモンの被害者がいると聞けば、ポツンと一軒家の山奥へも行き、自宅でじっくり本人や家族から被害状況を聞き、医師を訪ねて診断書や投薬証明書をもらう。全国の被害弁護団を結集し、情報交換、情勢分析、攻め方の検討などでは、いつも豊田誠先生(2023年3月16日没)が議論をリードされていた。すごい人がいるものだと思い、できるだけそばにいて仰せのままに動いた。ここを調べてこいと言われれば、医学部の図書館に入り浸って内外の文献を漁った。
 ある時、豊田先生から「おい、中村君、恒久救済の法理を一緒に研究して書こう」と声をかけられた。公害・薬害被害者は、判決で賠償金をもらっただけでは救済にならない。後遺症を抱えて生きている限り人間らしく生きる権利を保障されなければならないはずだ。もとの体に返せ。この素朴な発想から、「原状回復」に狙いを定め、明治時代の民法制定時の帝国議会の議事録を調べ、金銭賠償より原状回復が民法の原則であるとし、奪われた健康を返せ、生きている限り加害者は恒久的に救済措置を講じなければならない、とまとめ、法律時報に豊田先生と私の共同論文「恒久救済対策の法理」(法律時報50巻5号34頁)を掲載してもらった。
 そして判決では金銭賠償しか命じられなくても、引き続く加害者との直接交渉で、生きている限りの介護手当や健康管理手当を獲得した。この論文がその後の公害・薬害等の被害回復訴訟の理論的裏付けとなり、今日まで引き継がれてきた。
 困っている人を救う法律を、どんなに時代が変わろうとも適用するという執念、諦めない根性、学者の論文が存在しなければ自分で書く、という気概を強く感じた。
2 全方位活動
 現行の法律が不十分だと分かれば、学者、消費者団体、国会議員も含めた勉強会を継続的にやり、法改正や新立法を提案し、国会を動かし、立法を実現する。弁護士が被害を説明するだけではインパクトが弱い、スモン被害者の車イスを押しながら国会議員回りや行政への要請、市民団体、労働組合などへの支援要請、大小の集会、国際会議への参加、厚生省前に座り込んだり泊り込んだり歌を歌ったり、ノーモアスモンのCDを売ったり、映画を作ったり、労働組合の事務所まわりで翌朝早いビラまきのために組合事務所に泊り込んだり、支援してくれる団体の企画にも参加したり、できることは何でもやる。(しかし、子どもが小さいときにほとんど家にいなかった、と50年たっても妻にぼやかれている。)
 立法提言をするには日弁連の意見書に仕上げなければ力にならない、日弁連にまだ消費者委員会のなかった時代に、その創設のためのシンポジウムをやり、実現した。そして消費者委員会その他の関係委員会に入り、海外調査にも行き、中心となって法案を練り上げる。世論喚起の活動で包囲して、それをもって行政庁や国会へ。弁護士の職場は法廷だけではないことを存分に知らされた。
 こうして私は、その後薬事二法の制定、食品事故被害救済制度の提言、製造物責任法の日弁連試案の作成と制定運動、消費者庁創設運動、消費者のための事故調査機関の創設運動、公益通報者保護法の制定、改正なども、親しくなった多くの学者や国会議員、消費者団体等の人脈を駆使して担ったが、その手法はもとはと言えばすべて豊田先生をはじめスモンの戦いから学んだものだ。
3 粘り強く
 制度を作り、立法を成立させるには、理屈だけでは十分でなく、いわゆる立法事実が必要だ。それをかき集め行政や立法府に提供するのも弁護士ならではの役割である。(余談だが、俳句も理屈を並べるのではなく、具体的事実を詠むものだといわれる)製造物責任法の制定に際しては、消費生活相談員の皆さんや自治体の職員まで動員して弁護士とともに欠陥商品110番電話相談を何度もやって事故事例と救済の困難性を拾い上げた。そして具体的訴訟をやることで現行法の矛盾や問題点をあぶり出しどんな法律が必要かをアピールする。若い弁護士らとともに訴訟を担うPL弁護団を結成した。立法が実現してもそれで終わりでなく運用状況を監視し制度を育てていかなければならない。そのための市民組織のPLオンブズ会議も結成し両方とも代表世話人として3~40年みんなで楽しく粘り強く続けている。先頭に立って創設にこぎつけた消費者庁、内閣府消費者委員会も監視し育てていかなければならない、そのためのウオッチねっと組織も作り、活動を続けている。
 また、行政機関や裁判所に、現場を知りリーガルマインドを持った弁護士が入っていくことも大切だ。自ら内閣府消費者委員会の委員として非常勤の公務員の立場で消費者行政の改善に取り組んだ。また、若い弁護士を任期付き公務員として何人か送り込んだ。そのせいか、私と目が合うと逃げていく弁護士もいる。しかし役所から帰ってきて文句を言われたことはない。
 自分で将来を固定せず、与えられた場で考えられることは何でもやってみる。
 こうして走り続けてきたのが私の現在位置だと思う。


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