〒112-0014 東京都文京区関口一丁目8-6 メゾン文京関口 II 202号
TEL:03-5227-8255 FAX:03-5227-8257

活動を振り返る その2

 南北法律事務所 小池 振一郎

 1999年度二弁副会長を終えた途端、西嶋勝彦日弁連拘禁二法案対策本部事務局長からその後任を要請された。長年事務局長を務められた西嶋団員の要請を拒むことはできず、私は、監獄法改正の真っ只中に放り込まれることになる。
 名古屋刑務所事件をきっかけに、2003年行刑改革会議が設置され、法務省、警察庁、日弁連三者でウィーンとローマの刑事施設を調査した。この頃は、代用監獄の代用性を費用面で維持する費用償還法を削除させる強い意向が当局側にはあったが、その旅先で、「西嶋本部長代行が費用償還法削除は絶対にダメだと言っている…」と周りにつぶやき続けた。帰国して、佐藤英彦・元警察庁長官とトップ会談し、費用償還法削除を断念させた。法務省の実務の中心は林真琴矯正局総務課長(後の検事総長)。法務・警察の中心メンバーと、ケンカし仲良くしの日々であった。
 監獄法改正が実現し、受刑者処遇は一定の改善がなされた。未決はそれほどではないが、拘禁二法案の“毒”は抜いたつもりである。立法がどのようになされるか、目の当たりにした貴重な体験だったⅰ

 2009年二弁会長選挙。私は向陽会として初めて立候補したが、718票対954票で落選した。組織票が圧倒的に異なる中で善戦したと言われた。
 監獄法は改正されたが、諸課題は山積しているⅱ。私は、国際人権自由権規約委員会や国連人権理事会などの日本審査に向けた日弁連報告書作り、日弁連代表団としてのジュネーブ審査傍聴・委員へのロビー活動に、何度も加わった。周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』をジュネーブで上映し委員たちに見てもらった。日弁連としてドキュメント映画『つくられる自白~志布志の悲劇』も作り、委員たちに見てもらった。
 2013年拷問禁止委員会の日本審査を傍聴したとき、取調べの弁護人立会い拒否を正当化する日本政府の答弁に業を煮やしたアフリカの委員(最高裁判事)が、「日本は中世だ」と指摘。これに対して日本の国連大使が、「日本はこの分野では最も先進的な国の一つだ」と切り返したため、場内がクスクスと失笑。大使は、「なぜ笑う。シャラップ(黙れ)!」と叫んだ。私はその場に居合わせて、日本がここで国際連盟を脱退したときもこのように孤立した雰囲気だったのかと連想した。マスコミが何も報道しないので、帰国して私のブログに「日本の刑事司法は『中世』か」と書いたところ、1日に5万2000件のアクセスがあり、シャラップ発言の模様はユーチューブに流され、世界中に知れ渡った。
 2016年刑訴法改正は日弁連理事会で賛否が真っ二つに分かれていた。私は、取調べのビデオ録画の不十分な証拠採用がそこでの自白の虚偽を見失う危険性を指摘し、ビデオ録画が例外なくすべて証拠採用されるべきだと改正案を批判し、法務省との協議路線をひた走る日弁連執行部に反対した。
 団をはじめ法律家団体で刑訴法・盗聴法改正反対をマスコミに働きかけ共感を得たが、あまり表には出なかった。日弁連が賛成しているから反対のキャンペーンを張れなかったと、後にマスコミ関係者から聞いたⅲ。
 衆議院法務委員会には刑訴法改正反対の立場で参考人になった。今市事件第1審判決の2日後に執筆した「今市事件判決を受けて―部分可視化法案の問題点」(法と民主主義2016年4月号)のゲラ刷を法務委員会に配布した。コメンテーター仲間の有田芳生議員から要請され、参議院法務委員会の参考人にもなった。
 また、周防監督・指宿信教授らとのシンポに私もパネラーとして参加し、部分可視化のリスクを強調した(『取調べのビデオ録画~その撮り方と証拠化』成文堂2018年)。周防監督は、「ビデオ・映画は情報が満載されており、見る側は自分に都合のいいところしか見ない。」と鋭い指摘をした。

 刑訴法・盗聴法改正反対運動を共にたたかった法曹内外の仲間たちから、法律家8団体の共謀罪反対運動への参加も要請された。民主党議員らと毎週検討会を重ねた。共謀罪は滅茶苦茶な国会運営で成立し、1カ月も要しないで施行された。
 共謀罪法は市民の日常監視を合法化する。スノーデン元CIAが警告するように、監視社会が到来しており、警察などを監視する独立した第三者機関を設置することは急務である。ニュージーランドには、警察に対する苦情を受付け、警察官の不正や事故を調査する「独立警察行政機関」がある。
 施行日の反対集会で私は、共謀罪による人権侵害を救済できる公的な独立機関の必要性を訴えたところ、翌日の東京新聞(2017年7月12日付)第1面トップで「警察を監視 独立機関必要」「乱用歯止め 法律家ら提言」と大見出しで報じられた。
 米倉洋子日民協事務局長、山田大輔団員と約20回の編集会議を開き、1年がかりで『共謀罪コンメンタール』を作ったⅳ。

 袴田事件再審決定は死刑について問題を投げかけている。私は、2016年日弁連福井人権大会での死刑廃止決議案作成に関わり、2018年12月日弁連死刑廃止実現本部副本部長の立場から団本部の第1回死刑制度学習会で講演した。袴田事件再審決定の機会に、再審問題、死刑廃止について扉を開きたい。

 現在、私は日弁連国内人権機関実現委員会委員長の職にある(写真 : 2023年5月日弁連シンポでの閉会挨拶)。
 日本には政府から独立した公的な人権機関がない(世界には120以上の国にある)。私は同委員会事務局長のとき、人権委員会設置法案立案に向けて法務省と協議を重ねた。過去の人権擁護法案の問題点を克服し、それなりにいいものに仕上がり2012年国会に提出されたが、廃案になった。
 2019年日弁連徳島人権大会分科会シンポに韓国国家人権委員会事務局長を招き、林陽子女性差別撤廃委員会元委員長らとパネルディスカッションを開き、私が司会した。この人権大会で、国内人権機関の設立を求める決議が採択された(同人権大会シンポ第2分科会実行委員会編『国際水準の人権保障システムを日本に』明石書店2020年)。
 日本は人権先進国だと思われているが、実は韓国からも遅れを取っている。死刑は1998年金大中大統領就任以来事実上廃止され、韓国国家人権委員会は2001年に設立された。執行猶予もしくは罰金が予想される事件は拘束しないとする2006年「人身拘束事務処理基準」や取調べの弁護人立会いなど、韓国に先を越されている。
 2022年11月自由権規約委員会は日本政府に対して、数ある諸課題の中で「優先事項として」国内人権機関の設置を勧告した。国連システムの中で、政府から独立した国家人権機関設置の占める位置が極めて大きくなっている。

 いま振り返ると、結果的に、悪法反対、立法闘争が私の活動のかなりの部分を占めてきたように思う。弁護士会での委員会活動を熱心にやると、そこから他の関連委員会に派遣要請され、さらに他の委員会へと多重会務になってしまう。私の弁護士会活動もその例に漏れないのであろう。ただ、団との連携は、常に意識し実践したつもりである。
 それぞれに面白いエピソードがなおたくさんあるが、またの機会に譲りたい。
 (以上、役職名は当時)



 以下に、筆者の論稿を掲げる。
 ⅰ「刑事施設・受刑者処遇法成立の意義」法律のひろば2005年8月号、「代用監獄問題と未決拘禁法」自由と正義2006年9月号
 ⅱ「えん罪原因の解明から刑事司法の根本的改革へ」『えん罪原因を調査せよ』勁草書房2012年、「刑務所改革と量刑の在り方」「裁判員制度から引続くべき刑事司法改革」『裁判員裁判のいま』成文堂2017年
 ⅲ「取調べの録音録画―法律化の要因と問題・今後の展望」法と民主主義年2016年7月号、「可視化は弁護をどう変えるか」『可視化・盗聴・司法取引を問う』日本評論社2017年
 ⅳ「共謀罪の立証方法の特異性と捜査手法」「警察監視機関・国内人権機関の設置を」『共謀罪コンメンタール』現代人文社2018年


「小池団員が団支部事務次長のときに新設したソフトボール大会」


ページの
先頭へ