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歴史のリレーランナー

青梅ぽぴらる法律事務所 鈴木 亜英

 団の国際活動は近年豊かなものになってきました。国際問題委員会も忙しくなり、これまでとは異なる様相を呈しています。委員会が発足するきっかけとなったアメリカの民衆の弁護士との交流・連帯が始まった30年前のころの話をして見たいと思います。
 金沢で活躍する私と同期の菅野昭夫弁護士からアメリカ行きを誘われたのは、1991年3月でした。菅野氏が翻訳を手掛けたアーサーキノイ弁護士に会いに行く。一緒に行かないかというのです。誘われたのは私を含め7名。翻訳に5年近くの時間をかけ、出版の運びとなったのですが、この間著者とは全く対面がなく、すべて電話でのやりとりだったというのです。そんな距離感を一気に縮めたのが、キノイ弁護士と直接会ったこととキノイ弁護士が周到に準備した人権団体や市民団体などの運動に携わる人々との素敵な出会いと対話でした。
 私たちはキノイ弁護士をはじめ、アメリカ人の飾らない日常、私たち団員が日々接している人々と何ら変わらない人々の真心のようなものに触れて、地球の裏側にいると思うような隔たりを全く感じることはありませんでした。
 到着した空港で大声をあげて近寄ってきたのが、私たち全員が始めて会うことになったキノイ弁護士でした。このフレンドリーなキノイ弁護士との出会いに触発されて、私たちの緊張は融けてゆきました。
 このような出会いを起点に私たちとアメリカの人々との付き合いは始まりました。キノイ弁護士がナショナルロイヤーズギルド(NLG)の全国の支部に依頼して私たちの訪問を受け入れてくれました。私たちはそれぞれの目で「アメリカの現在」を見て回ることができました。日米の終戦後約半世紀がたち、遅きに失したとはいえ、この出会いの後は日米の民衆の弁護士同士の国際交流は一気に開花したと云ってよいでしょう。東京で行われた団の同年秋の創立70周年記念の集いにキノイ弁護士を招きました。講演「アメリカの民衆の弁護士の戦いと役割」。菅野さんの訳本をあらかじめ読み中身を理解していた団員はキノイ弁護士の話が心に響き盛大な拍手を送りました。戦後の日米の民衆の苦悩はひとつのものであるという訴えが聴衆の心を掴んだのです。
 そして、1992年8月NLGの総会に、小島団長以下38名の団員が訪米して参加し、NLGのメンバーと交流し連帯を深めました。1994年7月、団員が各分野で取り組んできた国際活動と国際連帯活動の経験を交流・蓄積し、組織的な対応を目指して国際問題委員会が発足しました。乞われて私は初代委員長を引き受けました。国際問題委員会は、1995年8月、再度訪米を企画・実行しました。この訪米の目的は、NLGとの交流と連帯を一層深めること、阪神・淡路大震災の救援活動に生かすべくロス・サンフランシスコ震災調査活動をすることなどを通じ、私たちの民主主義と人権擁護活動の発展に寄与することにありました。これらの目的を持った訪米団は、各地のNLGメンバーとの交流を中心とする東コース班、震災調査活動を中心とする西コース班、新しい政党づくりの集会参加を中心とするピッツバーグ・コース班と三つの班に分かれ、各班は8月10,11日、ボートランドで開催されたNLG総会に参加すべく全員合流しました。こうした目的を持った渡米は度々行われ、以来ほぼ毎年1度ずつ訪問することになり、これまでに23回にもなります。NLGの団総会訪問も何回もあります。
 こうしたお互いの信頼が深まったところで、私たちはNLG弁護士との親しい関係を通じて共同で「えひめ丸事件」解決に取り組み、被害者の救済に力を尽くしました。米兵の良心的兵役拒否に加勢するヘルピングアウトの取組みにも熱心に取り組めました。私たちが取り組むべき国際活動は限りがないと云えます。


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