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歴史のリレーランナー

信和法律事務所  朝倉 正幸

 82歳の誕生日を迎えて間もなくの、現役です。
 豊田誠先輩、西島勝彦さんから団への加入を勧められて入会しました。弁護士になってまもなくの頃です。それから50余年、会費だけ払ってきました。組織に入ったことも、団としての活動に参加したことも殆どありません。しかし、団通信や研究集会の報告集で、社会で起こっている多くの問題を知ることができ、大変役立ちました。
 当時、公害訴訟のはしりで、イタイイタイ病が提訴されましたが、私は原告側弁護団の一員として参加していました。まだ右も左もわからない青二才の私にとって、格好の学びの場でした。近藤忠孝先輩が会長を務めておられた青法協が、富山に奇病があるので調査をしようということで呼びかけ、東京から大阪までの主要都市から20余名が集まり調査をし、その結果弁護団を結成し、訴訟ということになりました。私も、何か社会的意義のある事件にかかわりたいと思っていたところでしたので、参加したのです。
 そのころの社会情勢として、大型公害や、人権問題が多発しており、また、青法協問題も起こっており、多くの弁護士が憲法問題や社会問題に目を向けていたように思います。
 イタイイタイ病は、むろん手弁当で、交通費も出ませんから、当時所属していた京橋法律事務所が交通費を支給してくださったのは助かりました。しかし、まもなく独立してからは、それも私の負担です。今から考えるとどうして食べていけたのか不思議です。
 その後、イタイイタイ病訴訟は完全勝訴し、公害の歴史は、負け続けから勝訴への大きな転換をしたのです。
 イタイイタイ病の被害住民の人たちは、判決の翌日加害者の三井金属と直接交渉し、イタイイタイ病の賠償にかかわる約束、田の排土客土についての約束及び立ち入り調査にかかわる約束を誠実に守ってもらい、今に至っています。この間に、課題のほとんどが解決したので、三井金属に謝罪をしてもらい、「全面解決」しました。しかし弁護団は、イタイイタイ病弁護団と名を変え、被害住民のために援助をしてきました。近藤忠孝団長が亡くなった後、私が団長をしています。
 イタイイタイ病訴訟が高裁で終了した後、スモン訴訟(東京、新潟、静岡)に参加しました。私の担当の一人は、まだ未成年の頃に、キノホルム剤の投与により目が見えなくなり、下半身の障害を負い、歩くこともままならない体になった青年でした。このような被害の現実を見て、参加したのです。スモン訴訟は、大闘争の末和解で解決したのですが、そのころ水俣病(鹿児島県泉市)の被害者からの依頼で、東京で訴訟することになり、これに参加しました。明水園という胎児性水俣病の患者さんが入所している施設に見学に行き、そこであまりにもひどいと思ったことが参加した理由でした。
 水俣病訴訟が終わって十数年は、普通の弁護士として過ごしてきましたが、2018年に思いもよらぬことが起こりました。リニア新幹線(単にリニア)の巨大トンネル直下に私の家の真下を通ることが分かったのです。80歳に近い私にとって、大きな紛争に取り組むことは負担でしたが、リニアを知るために勉強を始めますと、リニアが何の役にも立たない「公共施設」であり、多くの問題を抱える大型公共事業公害であることがわかってきました。住民の会に参加して行動を共にするうち、2020年10月調市の陥没事故が発生しました。この事故は、リニアと同じシールドマシンで掘っていた外環道の地下に3か所にわたって、大きな空洞が生じ、一部が陥没したものです。リニアにも同じことが起こるに違いないと、私たちは、2021年7月に工事差し止め訴訟を提起しました。この6月6日4回目の口頭弁論がありました。この日は、弁護団の弁論と私の原告陳述がありました(私は弁護団には加わらずに原告になりました)。私は、イタイイタイ病などの公害訴訟の経験を踏まえ、公害は起こってしまったら手遅れになること、予防こそが公害訴訟の教訓であることを訴えました。この陳述が、東京新聞、赤旗に取り挙げられました。
 私のつたない経験をお話ししましたが、「つたない」経験であっても、これをする人が少しでも多くなってほしいと思っています。


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