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歴史の中の一人一人の人間を思って

町田法律事務所  大森 典子

 私は昭和18年(1943年)生まれ。戦争の実際の体験は記憶にないが、物心がついたころ(多分昭和23、4年(1948、9年)ころ)、世間ではまだ戦争の傷跡が普通の生活の周りにあふれていた。そして父母からも学校の先生方からも、いかに愚劣な戦争に国民は騙されて突入してしまったか、という悔恨と為政者への怒りを聞かされて育った。自然と、“あのような歴史を繰り返してはならない”ということが私の生き方を決める根っこになった。
 弁護士になって、幸いなことに家永教科書裁判や長沼ミサイル基地訴訟など、こうした自分の生き方の基本にぴったりの裁判に関わることができて、本当に何物にも代えがたい貴重な経験をすることができた。考えてみれば家永訴訟で杉本判決を出した杉本裁判官も長沼訴訟の福島裁判官もまさに戦中世代で、あの戦争を生き延びた世代の方々であった。多分ご自分の経験にも裏付けられて、日本国憲法の理念を自分の信念としてそれぞれ歴史に残る判決を出されたのだと思う。
 しかしあの憲法訴訟に人々が支援に駆け付け、大きな運動になった1960年代から60年以上が過ぎて、戦後生まれの人口が大部分となってくると、こうした黙っていても「違憲」と聞けば駆け付ける、と言うような時代は大きく変わった。子どもの生活の場で、「あの戦争さえなければ」とか、「戦争のためにお寺の鐘も供出させられた」などと心の中にしみこむように「あの戦争」のことを聞かされて育った人間と、教科書で書かれている憲法を学習する世代の、歴史や憲法に対する感覚が異なるのはいわば必然である。さらに、時の政権の意向が教育内容にもろに反映されるような時代に、「憲法を守ろう」ということが政治的に偏向と言われかねないなかで、大部分の人々の感覚と戦中世代の感覚とのずれは現実のものとしてしっかり踏まえて考えなければ、と思う。
 そこで改めて自分の“あの歴史を繰り返してはならない”という感覚の基本を考えると、「戦争の歴史」と言う時に、すぐに私の頭にうかぶのは、ジャングルのなかをさまよう敗残兵であったり、絶望的な戦闘を余儀なくされる硫黄島の兵士の顔であったり、 空襲で焼け出されて住まいも家族も失う「蛍の墓」の兄妹のイメージであったりする。つまり戦争の歴史の中の人間の悲しさ、つらさをすぐに具体的に思い描くのである。
 意識しなくても自然とそうした歴史に押しつぶされる人々のことを身近に聞いたり見たりした世代でない戦後生まれの人々には、ぜひ「歴史を知ってほしい」と切に思う。その「歴史を知る」とは、何があったかを知るのではなく、それ以上にそこで人々はどんなことを強いられ、どんな思いをし、どうやって生活をしたかという「人間」を具体的にイメージできるような「歴史」を知ってほしいと思う。負の歴史に目をつぶり、日本は栄光の歴史であったとする歴史修正主義者の政権の下では、特に、一人一人の市民が「歴史の中で当時の人々はどのようなことを感じ、どのような生活をしたか」という人間の視点をしっかり据えて過去の歴史を知り、「あの歴史を繰り返してはならない」という理念を共有することが決定的に重要だと考える。
 そしてこの社会がきちんと過去の誤りを誤りとして認識を共有することが、ふたたび過ちを繰り返さないためにどうしても必要なことだと痛感する。それは戦争の被害の記憶だけでなく、特に加害の歴史についても忘れてはならないことだと思う。いうまでもなく加害の歴史は具体的にイメージするのが難しい。しかしぜひ侵略を受けて他国の軍隊に意味もなく殺傷されたり、犯された人々の怒りと苦痛、あるいは誇りある自国の言葉も慣習も奪われた苦痛は、努力して被害者の立場で思い描いてほしいと思う。世界ではそうした加害の歴史に正面から向き合うことが多くの国で現になされ、国の指導者が繰り返し「忘れない」と言明しているのだから、国際社会で行われている過去への向き合い方ができる国になってほしいと切に考える。


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