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歴史のリレーランナー

宮川法律事務所  宮川 泰彦

 このコーナーは、弁護士として闘ってきた思いを後輩たちに伝える企画だそうだが、宮川には後輩に伝える様な弁護士としての戦いはない。しかし、こんな団員でも団と団員のことを思っているのだということを知ってもらうのも役に立つと思い、自己紹介を兼ねて、思っていることを述べたい。

○自己紹介その1 宮川の戦争体験 附:拾い食い
 1941年(昭和16年)当時の植民地朝鮮で出生。4歳になった年に敗戦、そして引き揚げ。幼いので多くは余り覚えてはいないが、釜山から博多へは灯りもなく真っ暗な船倉内での雑魚寝、身動きできないで非常に辛かった(半日ほどの?)引き揚げ船内の様子は幼心にも鮮明に記憶されている。
 博多から熊本の山江へ向かう。八代駅で夜を迎えるが旅館が確保できない。引揚者なので米支給を受けられる「米券」も米も持参していなかったかららしい。八代駅構内地下通路に布団を敷いて4歳(宮川)、2歳(弟)、10歳(姉)の子ども3名を寝かし、父母と女中の大人3名は肩を回し組みして子らを囲みながら一晩を明かした。
 直接の戦争体験ではないが、引き上げの際の辛い異様な光景は幼子の目にも強烈に写った。76年経った今でも鮮明に覚えている。そのような引き揚げではあったが、家族(女中さんも)全員が無事内地に来れたのは、戦争孤児・引き揚げ孤児に比べれば幸せな引き揚げだったと言える。
 戦後の体験では、ひもじい思いをしたことだ。熊本山江では農家に食材はあったとは思われるが、引揚者である宮川の家族にはこれといった食材はなく、ふすまも食した。芋が食べられれば幸せだった。1947年(昭和21年)には東京都杉並区高円寺に移転するが東京でも食糧は乏しく母親は(小平事件があった)小平方面へ食糧買い出しによく出かけていた。ひもじい思いは東京でも変わらない。近所の家の柿の実が玄関脇に落ち2日程経った。渋柿だがもしかしたら食べられるかも、と思い拾って別の路地に移動し口にしてみた。そしたら渋みはあるが意外に甘い。全部食べた。一生に一度の拾い食い体験。
 辛い引き揚げとひもじさが宮川の戦争体験。

○自己紹介その2 団との関わり
 1974年(昭和49年)、東京南部法律事務所入所、入団。26期。主に大田・品川地域の労働組合運動、権利擁護運動、憲法護る運動などに加わる。2013年に約40年在籍した南部法律を退所し自宅事務所を構える。
 1987年、88年団支部事務局長務める。当時の支部長は小島成一さん、幹事長は大森鋼三郎さん。国労差別、深夜長時間労働、三宅島基地反対闘争支援、国家機密法再上程阻止、警察拘禁二法などに取り組んだ。
 2013年~2015年東京支部長務める。南部法律から独立した年と重なる。南部法律事務所は地域の関係者や南部OB・OGの参加のもと「宮川さん感謝と激励の夕べ」を開き、宮川の支部長の責務を全うさせるべく激励をしてくれた。
 宮川は支部長就任挨拶で、「憲法問題は重大且つ深刻な諸課題を我々に突き付けている。解釈改憲、立法改憲から明文改憲の動き、村山談話、河野談話に対する見直し攻撃、歴史教科書問題等々侵略戦争からの反省を投げ捨てる動き。日本国憲法の土台崩しが同時進行している。改憲ストップの流れをつくりだそう」と訴えた。この思いは変わらず、いや変えようがない現実が続いている。

○老人宮川の団への参加は?
 宮川は今年81歳になる(もう80歳?という人もいるが)。弁護士活動からはほぼ身を引いているが、「不正義は許せない」「黙って見ているのは無責任」「憲法守れの声は発せざるを得ない」想いから足が遠のいたとは言え、団の企画や憲法集会などには(学びとるために)未だに参加することがある。
<団支部総会> なるべく参加する。古い感覚かもしれないが、団支部総会は団支部の最高意思決定機関でもあり、総会に出席するのは支部団員として当然との意識は最近まであった。宮川の目からすると総会への出席団員が少ない。(顔を知らないこともあろうが)若手団員の参加が少ないように思える。
<メーデー参加> 団とメーデーの歴史的関わりからメーデーに参加するよう努めてきた。メーデーでは「明日わかチラシ」の配布など団の若手も参加している。亡くなった坂本修さんもメーデー会場に姿を見せ、パレード(最近はデモとは言わずパレードと云うが・・・)が始まるころまで会場参加していた姿を思い出す。各法律事務所の旗が並ぶ姿はメーデーと自由法曹団の深い長い関わりを象徴しているように思える。
<支部スポーツ大会> 野球好きなので古希の頃までは毎年南部・五反田連合チームの一員として参加を続けてきた。それ以降は、とりわけ2013年に南部を退所してからは審判に専念し、ストライク・ボール、アウト・セーフなどの判定をハッキリした声で示し、テキパキした試合づくりに努めてきた。しかし、昨年は中止となり宮川も81歳を迎える。今年からは観戦・終了後の懇親会参加にしようかな。

○若手中堅との共同 老・壮・青の共同・団結
 団内で若手の間での共同行動はあるように見える。しかし、宮川はあまり諸々の企画に参加しないからか若手と話し合ったり共に行動することは極めて少ない。
 個人事務所の団員には世代を超えた話や課題の検討をする機会が少ない。先輩団員も若手・中堅団員と行動を共にする機会をつくったらどうだろうか。支部ニュースなどでの企画参加の呼びかけには「若手の皆さんふるって参加」を呼びかける案内を目にすることがある。
 年配者のひがみか宮川特有のひがみかは分からないが、もっと中堅・年配の団員への参加を呼び掛けて良いと思う。団は老年、壮年、青年で構成される団体である。老・壮・青が団結し共に行動する法律家団体である。

○弁護士として取り組んできた運動や弁護士活動の作風など、壮年・青年団員に伝え共に考えたいことなどもあるが、字数の割には余り有意義な内容ではないので触れることなく終える。


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