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新人紹介

旬報法律事務所 中西 翔太郎

【大学入学、震災と原発事故】
 私が大学に入学したのは2011年4月。桜は美しく咲き誇っていたが、社会の雰囲気は異常なほど冷たく、心は重かった。東日本大震災と原発事故を大阪から見守るだけであったが、被害の大きさが次第に明らかになり、また危険を顧みず訪れるボランティアが増えた。じりじりしはじめ、自分に出来ることはないか考えるようになった。
 東日本大震災の被災地に初めて足を踏み入れたのは2012年9月。津波の被害を受けた岩手県大槌町に足を踏み入れた。遠野まごころネットを拠点としたボランティア活動や被災者が立ち上げた手芸工房、仮設住宅、旧大槌町役場等を訪問し、かけがえのない友人や家族を失った苦しみに耳を傾けた。2013年3月には、現地の労組の方に案内していただき、原発事故の被害を受けた福島県大熊町や楢葉町でのフィールドワークを行った。被爆労働問題を知ったのもこの時であり、現地の労組の方から、被ばくの危険性のある過酷な労働の存在、被ばく労働で白血病を発病した人がいること、放射線量を規制する法律が不十分であることなど被ばく労働の問題を聞いた。大量生産消費社会を支える一方、被ばく者を生む労働は、弱者の犠牲により成り立つ近代社会の矛盾そのものではないか。私は、ペン1本で国や大会社に訴訟ができて、自由に自分の意見を言える弁護士なりたいと思った。

【労働事件との出会い】
 労働事件との出会いは、司法試験受験生であったとき。ボランティア活動の同志が、コミュニティユニオン(合同労組)の専従になったのがきっかけであった。労働運動の実践や労働現場で労働者が置かれた酷い境遇を知るにつれ、何か出来ることはないかとまた思い始めた。当時、大阪大学では、非常勤図書館職員の雇止め撤回闘争が行われており、私も支援に参加した。裁判傍聴では、「若いのに興味を持ってくれてありがとう。」と労組の方から声を掛けられて、とても嬉しかったのをよく覚えている。私は、弁護士としても、身勝手な理由で突然生活を奪われた労働者の役に立ちたいと重い、労働弁護士になることを決意した。

【労働安全衛生への世界の取り組み】
 2022年6月10日、ILO(国際労働機関)総会決議により、ILO中核的労働基準に労働安全衛生のカテゴリーが追加され、「職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する条約(1981年 第155号)」と「職業上の安全及び健康促進枠組に関する条約(2006年 第187号)」が中核的労働基準に加わった。日本国は、「予防的な安全衛生文化」の構築・維持の重要性を定めた187号条約の最初の批准国である。
 労働者にとって、労働安全衛生に関する権利は極めて重要である。私は、労働安全衛生が保障されない職場においては労働者の権利が保障されないという感覚が、大学の時から10年越しに裏付けられた気がしている。今後も、労働弁護士の一人として、労働者の安全衛生の確保に取り組んでいきたい。


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