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新人紹介

北千住法律事務所 金子 美晴

1.自由法曹団について

 大学と大学院で中国近現代史を専攻していたことがきっかけで、修士課程修了後、いろいろ偶然が重なり、当時すでに始まっていた、中国人の戦後補償裁判を支援する市民団体の専従になりました。現在、すべての訴訟が最高裁で確定し、裁判支援を中心とする支援活動が下火になり、ご存知の方も少なくなってきているかもしれませんので、ここで訴訟を起こしていた方々を紹介します。日本各地の事業所に強制連行され強制労働に従事させられていた方々(劉連仁、北海道、山形、群馬、東京、京都、福岡、宮崎)、1932年に現在の遼寧省撫順近辺の平頂山村で日本軍による住民大虐殺があり(平頂山事件)、その生存者の方々、戦時中に中国国内のいわゆる慰安所で性暴力の被害に遭われた方々(山西省、海南島)、終戦時旧日本軍が中国国内に毒ガスを遺棄した事で、戦後、中国国内で偶然に毒ガスを掘り起こし被害に遭った方々(毒ガス一次、二次、チチハル、敦化)、南京大虐殺の生存者として、別人・偽物扱いの書籍に対する各名誉毀損裁判をした、李秀英さん・夏淑琴さん、また本多勝一さんの「百人斬り」裁判、などです。事件ごとに弁護団があり、それがまとまって、中国人戦後補償弁護団があり、その大きな弁護団とセットになって、全ての訴訟について、裁判のお知らせをしたり、期日・判決報告集会をしたり、各地で要請行動をしたり、会報を作ったり、会費・カンパ集めをせっせとしたりしてきました。事務所には、訴訟関係資料や、各種歴史関係の資料がある程度まとまってあったので、興味を持った学生や市民の方々が気軽にアクセスできる場所でもありました。
 自由法曹団に入団したのは、入所した事務所の弁護士が基本入っているからという気軽な理由でしたが、蓋を開けて見たら上記戦後補償弁護団の多くの方が自由法曹団で活躍されてらっしゃるという、驚きと喜びを感じた入団でありました。

2.弁護士を目指したきっかけ
 上記支援の仕事につくまでは、弁護士に会ったことも、裁判所に行ったこともありませんでした。また仕事を始めてからも、他の分野の弁護士に会う機会はありませんでしたし、この弁護団の方々の、弁護団活動以外の、いわゆる一般事件の業務を目にする機会もありませんでした。そういう意味では、上記弁護団弁護士の、弁護団活動をしている姿だけが、幸運にも(?)私にとっての「弁護士像」であったのです。必ずしも金銭的利益に直結するとは限らないものでも、この人のためにやらねばならない、そして社会のためにもやらねばならない、そういう事件というものがあると思います。仕事で、こんなやりがいのあることに取り組めるなんて、弁護士って、もしかして良い仕事かも? そう考える事ができて、司法試験の勉強を始める事ができたのは、この中国人戦後補償弁護団のおかげだと思っています。

3.弁護士になって
 そして、弁護士登録をして早半年。事務所の皆様に助けて頂きつつ、日々精進しています。弁護団活動は、戦後補償弁護団にも加わらせてもらいつつ、結婚の自由を全ての人に(同性婚)訴訟の弁護団に加入しています。その理由の一つには、自分自身が女性とされることによる差別に違和感を持ち続けてきたという事があります。そこから端を発して、ジェンダーは社会により形作られるものであり、そうであるからこそ、その既定枠におさまらないとされる人がこぼれ落ちてしまうことは、本末転倒だと思うのです。「枠」におさまらない人がいるなら、「枠」の方を変えるべきではないでしょうか。
 これからも、声をあげる事が難しい人の、その声を取り上げるような活動をしていきたいと思っています。


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