自由法曹団 東京支部
 
 
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若手弁護士へのメッセージ 私の憲法運動

代々木総合法律事務所 渡部 照子

 私が憲法の存在を知ったのは小学校の低学年の時でした。母は私に、憲法に戦争しない、女も男と同じって書いてあるそうよ、照ちゃんは良い時代に生まれてきてよかったね、と言いました。明治生まれの母自身は、希望した高等教育を受けられず、長男の嫁となって苦労し、また、戦火を逃れて転々と住居を変え、戦後は食糧難などの経験から発した経験に裏付けられた重い言葉でした。
 私は中学校の社会科の時間に、日本国民は崇高な理想と目的を実現するため全力をあげることを誓っている憲法前文を読んで身体が震えました。
 1974年7月に長女を出産し、同年10月に代々木総合法律事務所に入所しました。男性弁護士は労働争議の現場や選挙弾圧事件に取り組んでいました。私はそんな男性を見ながら憲法をひろめ活かす弁護士になろうと思ったのです。当時も憲法改悪の動きが続いており、新婦人や労組などの憲法学習会に行ったり、新聞に連載記事を書いたり、団女性部の一員として「憲法とわたしたちのくらし」の出版に関わりました。先日、中野の新婦人の方に現在も「憲法とわたしたちのくらし」を読んで仲間たちと自主学習をしている、と言われました。憲法関連の本が多く出版されている中で読み継がれていることを嬉しく思いました。
 私は1976年から2010年まで杉並区に居住しました。杉並区は住民運動が活発な地域です。杉並区は原水爆禁止運動の発祥の地であり、また、当時、PTA活動をする母親たちの有志は継続中であった教科書裁判を支援していました。そんな地域に居住したことが縁となって、教育や教科書問題に関わることになりました。
 山田宏氏は1999年区長に選出され、まず区庁舎に日の丸を掲揚し「教育改革」を実行しました。民間人の校長や区独自の教員採用などです。また、扶桑社版歴史教科書の採択を強行しました。同区長は2001年の採択時の前年に、タカ派の元女性検事を教育委員に推薦しようとしましたが、強い反対運動の結果、実現しませんでした。住民側はわずか2週間位で多くの反対意見を区議会等に集中したのです。2001年の採択時に教育長は傍聴者たちの熱気が充満する委員会で沖縄戦に触れ、扶桑社版歴史教科書の採択に否の意見を述べました。歴史的な瞬間でした。運動をしてきて良かった、と仲間たちと心から喜びあいました。
 しかし、2005年には扶桑社版の歴史教科書が採択されました。明治憲法的な思考の持主と思われる高齢の男性2人と新しく都庁から来た教育長が賛成したからでした。PTA出身の女性委員は、脅迫電話などをうけながらも柔らかい感性と毅然とした姿勢で意見を述べ、私たち傍聴者に感動を与えました。
 2006年12月に第一次安倍政権は教育基本法を改悪しました。子どもの為の教育から国家のための教育への方向転換を図るものでした。
 前年の扶桑社版の歴史教科書採択の後に教育基本法の改悪があり、なにか重い雰囲気があるように思われました。そこで、仲間たちとこの雰囲気を打破し運動を一層広げるためにアピールを出すことにしました。2007年春に知識人、文化人、宗教者、経済人、元区長等の保守層を含む12名の呼びかけ人が「輝け 未来を担う子どもたち!『あの戦争は正しかった』と教えることは、間違いです」という杉並区民へのアピールを出しました。その後アピール賛同者が約1200名となりポスターを作って区内に広げました。この運動の中で、こんな情勢の時によくぞ声をあげてくれありがとうと言われ、また、カンパも集まり大変うれしかったです。それまで面識程度でかなかった方々とも親しくなり、友人が広がりました。

 私は1994年の団総会で石川団長、前川事務局長下で幹事長に選出され2年間務めさせて頂きました。この間、阪神淡路大震災、オウムサリン事件、沖縄少女暴行事件がおき、また、読売新聞社の憲法改正試案も発表されるなどし、緊張した毎日を過ごしました。全国の団員の結集した智恵と実行力がこれら事件に発揮されました。心底素晴らしい方々です。私は、団員の方々が動きやすい環境づくりを心がけました。当時の団本部の改装もその一つでした。

 今、安倍政権の下で、政治が教育内容に支配介入する状態がいよいよ強化されています。それは、根本的に変質した憲法を国民に容認させる目的で、教育によって子ども達を公益(権力者の意向)に従順な国民への育成をはかろうとするものです。彼らは、教育問題に関してもナチスに学んでいる、と思います。
 麻生氏がナチスに学んだらどうかね、と発言したのは2013年8月のことでした。その時は、憲法改悪の手口に関心が集まったようでしたが、私はナチスの全体主義への道も念頭にあったのではないか、と、考えています。
 ナチスは、第一次大戦の敗戦、また、1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落によって始まった世界大恐慌下の深刻な経済状態の中で、国民に経済的な利益を与え、国民の高支持を獲得しました。それは、アウトバーンの建設等の公共工事による雇用の拡大とユダヤ人の抹殺と財産収奪によってもたらされました。また、政権の安定策としてナチスの思想(単純に言えば、優秀なアーリア民族は一体となって公益に従う)をひろめ、国民に浸透させました。
 ナチスは政権奪取2年後には徴兵制を復活させ、17歳〜25歳まで者の全国労働奉仕団で6ケ月の労働奉仕の義務化、翌年には「ヒトラーユゲント」を国家青少年団体とし、若者の思想統制を強化していきました。全体主義者は若者がターゲットです。

 日本では昨年安保法制が強行成立されましたが、国民の抵抗は継続しています。私は現在、中野に居住しており、9条の会の代表世話人として中野の憲法運動に参加し、また、区議会議員のいくつかの会派が共に「戦争イヤだね!」のパレードを複数回実施し、今年も取り組まれています。
 3年後の教科書採択時は勿論、中野の住民運動にこれからも参加し、憲法を守り活かす活動を続け、絶対に自民党の憲法改正を阻止し、そして、憲法の理念が息づく社会をつくりあげる一人になりたいと念じています。

 
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