自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ 法と正義について思っていること

第一法律事務所 石崎 和彦

 70歳になったので、若い人たちに何か語れと言うことなので、常々思っていることを語ってみたい。
 私は、弁護士会に会派を立ち上げたり、武蔵野市の市長に立候補したり、国公法弾圧事件の主任弁護人を務めたり、いろいろと手を出してきたが、これらの活動については団本部の新人学習会の報告や弁護団の報告書、田中先生や門屋先生の報告等を見ていただければわかると思う。
 ここで語ろうと思うのは、どういう考え方で活動に取り組もうと考えてきたのか、ということについてである。
 新人学習会では、裁判所は弾圧事件については暴力装置の一環である司法機関として弾圧目的遂行をしようとし、弁護団はこの司法システムの中で戦っていかなければならないと言うことを述べた。
 そこでは、弁護団はありとあらゆる方法を用いて、弾圧目的を打ち破るために闘わねばならない。その例として、戦前の小作争議の中で土地取り上げに対抗するため田んぼのおたまじゃくしの数について尋問して尋問を引き伸ばした弁護団の活動についてのべた。法的には、何の根拠もない尋問であった。
 同じような例として、先輩弁護士が、家賃を滞納し明け渡しを求められている被告に、じっくりと話を聞いた上で、「家主の家に枝ぶりの良い松はないか」と聞いたことがある、という話しを述べる。法的には、訴訟に勝つ可能性はないと判断した上で、家主の家に乗り込み松の枝からぶら下がるしかない、と述べたのである。
 被告にそこまでの覚悟があるかと問うたのであり、そこまでの行動をすれば可能性が開けるかもしれないと述べたのである。
 いずれの例も司法界の多数が賞揚する闘い方ではあるまい。
 では、こうした、場合によれば懲戒を請求されかねない、闘い方は正しくないのか。
 私は、その闘いが正義のためのものであれば、自由法曹団員として正しい闘い方であると考えている。
 法の定めは、定められた小作料を支払わない小作契約は解除できるとし、定められた家賃を支払わない借家契約は解除できるとする。この法の定めを事実上否定する明け渡しを阻止するための弁護活動は、正義なのであろうか。正義なのである。
 法の定めがあることは、その定めが正義であることを意味しない。殆どの民事法は本来的に資本主義法であり、資本と所有を援護するためのシステムである。刑事法も又、国家の支配システムである。
 現存する法に合致する主張は、現行の裁判制度の下で勝訴する可能性が高いというだけで、別にその主張が正義であることを意味しているわけではない。
 私達は、現行の法を用いて少しでも有利になるように法律業務を行うだけであり、その結果勝訴したとしても、それが正義の遂行であるという保証はない。
 正義は法の外にあるのである。正義のために法を用いるのであり、正義のために法を否定するのである。法は正義を実現する為の手段に過ぎない。時にこれを利用し、時にこれを機能させないようにする。
 ところが、この点を取り違えているとしか思えない主張が、団員の間でも見られるようになって来た。法があまねく国民に適用されることをもって正義だとし、そのための司法制度の改革こそ正義であるとする。
 しかし、資本主義法の完全な適用は、豊かなる者はより豊かに、貧しいものはより貧しくすると言うことにならざるを得ない。自由法曹団員に課せられているのは、この法をいいかに修正させていくか、いかに不完全な適用としていくかを追求することである。もちろん正義の実現に役たつときは適用させるようにする。
 こんなことは、余りに当たり前で、いまさら言うようなことではないだろう。しかし、自由法曹団員が、現行の法に適合することをもって正義であると考えるようになったならば、もはや人民の生活と権利と未来を守るものはなくなってしまう。
 あえて、若い団員諸君に法と正義について考えてもらいたいと考えて、この文を書く。

 
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