自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ

練馬・市民と子ども法律事務所 津田 玄児

 私の取り組みは、事件も市民と子どもを中心としたものであり、それも弁護士会が中心で、執筆の依頼をうけ、果たして先進的取組に励んでいる団の若手のみなさんに、メッセージをお送りすることができるのか悩みました。しかし異常な速度で進む、戦争法制と新自由主義化の進行が、私が取り組む市民と子どもの生活に、しわよせされその貧困をもたらし、安全と幸せを奪っています。子どもと共にこれらの解決のために力を尽くすことは、すべての人が、戦争の不安から解放され、豊な生活をとりもどす力になるわけで、参考にしていただければと考え、書くことにしました。
 私の取組は、私自身の生育過程に根差しています。それは、「入団にあたってのご挨拶」に書いたとおりです。今では弁護士の誰でもが、少年事件だけではなく、広く子どもの人権にかかわる事件に、多様な形でかかわるようになっていますが、私が登録した、1963年頃は子どもへの権利侵害に取り組む弁護士はほとんどなく、少年事件でさえもこれを扱う弁護士は稀でした。私もその例外ではありませんでした。それでも子どもの人権に関心をもつようになったのは、当時法務省が提起した、少年法改悪の問題を日弁連で担当し、1966年に公表された日弁連意見書の作成に中心的にかかわってからです。
 意見書作りや、そしてその取組を通して、少年事件も扱うようになり、非行に陥る殆んどの子どもたちが、必要な援助が受けられない、成育過程の貧しさに、原因があることに、気付くようになりました。1978年11月に高松で開催された、日弁連の人権大会は、翌年が子どもの権利宣言から10年目にあたり、国際児童年として、世界をあげて宣言の到達点を探る年とされたことを受けてのものでした。少年法改悪阻止のとりくみの中心にいた私も、実行委員となり、そこで少年法改悪の対象となっている子どもたちが、その生育過程で成長発達が、損なわれている現実にふれました。「子さ打て・子殺し」「子連れ心中」「どぶ池事故」そして「子どもの自殺」「少女買春」「無認可保育所」「収容施設での虐待」また「落ちこぼれ」「学校事故」などが、子どもの成長発達を脅かしている現実を知りました。この人権大会では、これらの問題の背景にある、社会病理や福祉教育行政の貧困を問題にし、こうした現実を訴え、子どもの成長発達権の確立を呼びかけ、広く注目を集めました。
 この国際児童年を受けて、国連は子どもの権利に関する条約の作成作業を進め、1989年11月20日に、たくさんの子どもで埋められた会場で、全員一致で採択されました。この条約は、20番目の批准国の批准書が寄託された、30日後である、1990年9月2日に異例の速さで発効し、2015年10月現在では196か国が批准を終え、アメリカ合衆国を除く国連加入の全国家・地域が、批准し、唯一の未批准国であるアメリカ合衆国も批准の意思を示す署名は終え、文字とおり、世界の法規範としての体裁を整えています。日本は1994年4月22日批准書を国連事務総長に寄託し、国内では30日後の5月22日に条約が発効しました。158番目の締約国です。なお条約には、3つの選択議定書があり、日本政府は、その2つについては、批准していますが、個人通報を認める3番目の選択議定書は未批准です。
 子どもの権利に関する条約の実施については、各締約国は、定期的にその状況と、問題点を国連が設けた子どもの権利委員会に報告し、審査を受けることになっています、日本政府は、1996年5月、2001年11月、2008年4月に報告書を提出し、委員会の審査を受け、1998年6月、2004年1月、2010年6月に各最終所見を受け、現在第4回・第5回統一報告書を作成中である。委員会は政府報告書について、提出国のNGO、国連の機関を招いて予備審査を行い、それを受けて質問リストを出し、その回答と報告書に基づく審査を行なって最終所見を示しています。
 市民と子どもを中心とした、事件を扱う私たちの事務所の取り組みは、現在、憲法とこの条約を基盤にして展開しています。そこでいう子どもの権利の基本は、子どもを保護の対象とし捉えるのではなく、独立した人格と尊厳を持ち、権利を享有し行使する主体として把握することにあるということで、子どもの意見・気持ちを大切にすることが基本だと考えています。
 この点についていうとサッカーの試合で、雷鳴が聞こえており、生徒たちから「やめられませんか」といわれた引率の教師が、相手があることだから中止はできないと聞き入れなかった結果、落雷の被害を受けたという事件をやったことがあります。1審も2審も雷は自然現象なのでと、学校の責任を認めませんでした。最高裁でようやく責任が認められましたが、学校が生徒の命よりも、試合の続行を大切にしたわけで、恐ろしいことです。さらに、学校では体罰は禁止されていますが、悪ふざけの対象となったことに立腹して、指導と称して有形力行使を是認した最高裁判所の裁判例があります。悪ふざけの対象となったことに立腹したというのですから、腹立ちまぎれであることが推定され、なにをかいわんやです。日常の生活にあっても、夫と離婚をするにあたって、ついてこない子どもを拉致監禁した母親の事件に遭遇したことがあります。子どもが親のいうことに従うのが当然だとして、「子どもは黙っていなさい」という親の典型です。子どもが死んでいるのに「しつけ」だったという弁解をする記事にもよく出会います。子どものためだとはいうものの、本当は子どもの気持ちに関係なく自分の思いのままに仕切ろうとしているのです。反対に子どもの権利条例を制定しようとすると、子どものわがままを許すことになるとして、強い反対が起こります。そのため子どもの権利という用語すら使えないということもあります。自分のいうことは通すが、子どもにはわがままだとして許さないのです。
 私は、こうした一つ一つの局面で、子どもを本当に尊重することから築きあげてゆかねばならないと思っています。現実は、38年前高松の人権大会で問題にされた問題状況が、残っているのではないか、いや福祉や教育の面で金儲けに道を開いたり、子どもの貧困がすすんだりしてある面では、もっと悪くなっているのかもしれないとさえ思います。国連委員会からは、「社会における子どもに対するこれまでの姿勢が、家庭、学校、その外の施設および社会全般において、子どもの意見の尊重を制限している」と指摘されています。その根は深いと思う毎日です。

 
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