自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ

東京南部法律事務所 船尾 徹

自衛隊違憲訴訟から戦争法成立まで
 私が、施政権返還前の沖縄の基地調査団に参加したのは1972年。当時は、ビザを取得しなければ沖縄に渡航できない時代でした。故風早八十二先生はビザを取得できず参加は適いませんでした。先生の過去の「活動・経歴」に理由があったのは間違いないでしょう。この調査団参加が契機となって、私は水戸地方裁判所でたたかわれていた自衛隊「百里基地」の違憲訴訟弁護団へ参加することになる。
 当時、弁護団は、自衛隊の違憲性を論証するための証人採用をめざして激しくたたかっていた。そのたたかいは、頑迷な裁判所に幾人かの証人採用を踏み切らせ、いまだ新人の私にも尋問担当が当然のごとくまわってきたのです。
 そこで、思い出すのは源田実証人の尋問の準備のため、戦後の安保国会の審議録をもとに尋問構想を作成しようと、最高裁の図書室に通った日々のことです。今ならネットでこの種の審議録を容易に収集できます。しかし、当時はそうした「文明の利器」などなく、図書館に行って審議録を入手しなければならなかった。国会図書館では時間がかかるので、最高裁図書室に行ってみると短時間のうちに入手できた。こうして静寂な図書室で審議録を読み込み、尋問構想を練り上げた日々も、いまは「歴史の彼方」のものになってしまった。
 しかし、この自衛隊違憲訴訟のたたかいの基本的論点は、この国の戦後政治の場において今日まで続いている。自衛隊合憲論を主張していた当時の国側の主張は、@わが国に対する急迫、不正の侵害があること、Aこれを排除するために他に適当な手段がないこと、B必要最小限度の実力行使にとどまること、そして、自衛隊は必要最小限度の実力組織であるので合憲であるというものであった。この国側の主張こそ、憲法9条と自衛隊の整合性を確保しながら自衛隊をなんとか合憲化するため、「個別的自衛権」を軸に展開した「ガラス細工」とよばれる「政府解釈」として、戦後政治のなかで展開していったものです。
 弁護団は、国側が主張するこのような自衛権発動の要件は、自衛隊の現実の実態を無視した虚妄の自衛力論であり、自衛隊の違憲性の論証を、軍隊性、侵略性、対米従属性の軍隊であるという視点から、そして、軍事的合理性を追求する以上、自衛力の限界など認められないとして、憲法研究者、軍事評論家、自衛隊の元空幕長等々の証人尋問に力を傾注した。
 弁護団が提起した自衛隊違憲論をかわす国側の主張は「政府解釈」として、この国の政治・外交の基本原則(「専守防衛」)として、内閣、国会において、そして裁判所においても、「法的制約」として機能していく。それは、非核3原則、防衛費対GNP比1%枠、対外侵攻用兵器保有(航空母艦、原潜、爆撃機等)の制限、武器禁輸3原則、集団的自衛権の禁止、自衛隊の海外派兵禁止等々となって、この国の戦後政治の場に「政治的縛り」として、政治的論争を孕みながらも戦後政治のなかで定着してきたものです。
 こうした戦後政治のもとで形成された既成事実の前に、それなりに安定した生活を続けてきた国民のなかに、戦争放棄、非軍事を宣明した平和憲法も(「自衛隊違憲論」)、そして自衛隊・日米安保も(「自衛隊合憲論」)、それ自体は本来、対立・矛盾して存在するものであるにもかかわらず、そのいずれをも志向する「分裂した国民意識」として個々の国民のなかに併有・形成されていくことによって、自衛隊違憲訴訟の国民への訴求力は、残念ながら次第に減退し、基地公害に対する住民運動をバックにした公害訴訟がたたかわれてきたのです。
 こうした状況が変わってくるのは、米ソ冷戦の終焉後、冷戦下で「凍結」されていた戦争が勃発する90年代に入ってからのことです。イラクのクエート侵攻(90年)、日米ガイドライン改定(97年)、そして、今世紀に入って、3.11テロ、テロ特措法にもとづく自衛隊のアラビア海派遣、米機動部隊への給油(01年)、イラク戦争勃発に伴う有事3法、イラク特措法(03年)、イラク特措法にもとづく自衛隊のイラク派遣、第2次有事立法(04年)等々の軍事大国化と相次ぐ改憲構想の提起にもとづく改憲の動きを憂慮した市民が、自衛隊違憲を支持する「自衛隊違憲派」だけでなく、自衛隊合憲を支持する「自衛隊合憲派」も、「専守防衛」から「海外侵攻」をめざす9条改憲に反対の一点で結集する「9条の会」(「平和派」)を全国各地で組織し、「地域」における憲法運動の拠点となっていく。
 こうして「専守防衛」のもとで「分裂した国民意識」は、改憲攻勢が強まってくるにつれ「反転」して、「共同・連帯した国民意識」へと転化し、9条改憲反対の運動は、中央段階だけでなく全国各地に拡がっていくことになるのです。
 私たち団員は、この運動に参加し粘り強く各種の集会・運動を積み重ね、地域でたたかう力を地道に構築してきたのはいうまでもありません。
 「政権交代」を経て第2次安倍自民党政権は、「戦後レジームからの脱却」を呼号して、専守防衛のもとで構築されていた「政治的縛り」を次々と解き、特定秘密保護法、国家安全保障会議の設置、新防衛計画大綱、防衛装備移転三原則、集団的自衛権行使容認の閣議決定、「同盟として対応を必要とする可能性があるあらゆる状況に切れ目のない形で実効的に対処するため」(2015年4月28日日米ガイドライン再改定)、地球上のどこへでも、日米「相互」に兵站活動・後方支援しあう同盟に再編し、平時から日米一体化のもとで日米共同軍事体制を切れ目なく確立する「戦争法案」の成立にむけて、「専守防衛」を根本的に転換する国家へと「暴走」を始める。
 しかし、憲法9条が否定してきた集団的自衛権の行使を、本来あるべき改憲手続によらずに、これまでの憲法解釈を変更する閣議決定によって容認し、それを「戦争法」として立法化することによって、最高法規としての憲法を破壊してしまう安倍政権の手法に、「改憲論者」を含めて立憲主義違反とする「立憲主義派」による国民的批判が集中し、反対運動はマスコミ・法曹界を含めて飛躍的に拡がっていった。日弁連、各地の単位会、そして、団員をはじめとする多くの弁護士が、全国各地で立憲主義・民主主義に違反する戦争法案反対の声をあげる運動に参加し、重要な役割を担ったことは特質に値するものです。
 また、「戦争する国づくりをくいとめ、日本国憲法の理念を実現」を提起した「総がかり行動実行委員会」による共同・統一行動の60年安保以来の歴史的前進、大都市のみならず「地域」における各地の共同行動、そして、学生(SEALDs)や若者層、女性、怒れるママ達、そして多くの個人が国会前に、自主的・自発的に連日参加し、「戦争法案廃案」「民主主義ってなんだ」をコールし、「民主主義」「立憲主義」を自らの手で作り出そうとする空前の規模の運動として昂揚していく(渡辺治「戦争法案反対運動が切り拓いた新たな地平」(現代思想「安保法案を問う」2015年10月臨時増刊号 青土社所収98頁以下)。
 私自身はといえば、国会前の集会に参加する都度、若者達の発言・姿勢から感動とこの国の今と未来に希望をもって生きる勇気をもらい、この国の民主主義も捨てたものではないなとの思いで家路につく日々が何度続いたことか・・・。
 戦争法案は強行採決され成立したものの、戦争法廃止、立憲主義・民主主義をとりもどし、安倍政権を打倒する課題・運動を持続・発展することを自覚した主権者の運動と昂揚は、安倍政権の独走の意図せざる最大の「教育効果」となっている。
 私たち団員は、この課題にどのように取り組んでいくのか、真摯に検討していかなければならないと思う。日本共産党は、この課題で一致する「国民連合政府」によって、戦争法案廃止を実現しようとする運動を提起している。

閑話休題
 「部分」と「全体」の関係について
 「戦争法案」を審議する立法府において、安倍首相は、どのような状況のもとに集団的自衛権を行使するのかいくら質問を受けても「総合的に判断する」、「存立危機事態」を問われても「典型例をあらかじめ示すことはできないが、国民生活に死活的な影響を生じるか否かを総合的に評価して判断する」(5.26衆議院本会議)、「政策的な中身をさらすことにもなるから、そんなこといちいち述べている海外のリーダーはほとんどいない」(6.17党首討論)と、この政権に包括的に白紙委任されているかのごとき答弁を繰り返した。
 ここでの「総合的判断」こそ、権力の恣意的裁量を正当化する源にほかならない。
 私たちは日頃、判決において裁判官が展開する「総合的判断」に、これに似た経験にしばしば遭遇している。
 最近、航空機運航会社としてのJALとその整備会社日東整に働く労働者が、JALに使用者性(不当労働行為の責任主体)を求めて争った労働裁判で、「部分」から「全体」へ、そして「全体」から「部分」へ、そして、その「往復」によって、認識の精度を上げる検討も姿勢も欠落した判決の「総合的判断」と安倍政権の「総合的判断」は、いずれも判断権限を有する者による恣意的判断の危険性を想起させる。
 JALは自社の整備関連会社4社を統合再編するにあたって、日東整のみを排除して閉鎖に追い込んで労働者を解雇した。解雇された労働者はその不当労働行為責任をJALに追及した。
 航空会社は整備会社なしには一日たりとも安全運航を確保することはできない。両者は構造的に一体化した存在なのです。JALは航空機の自社の整備部門を別社化した日東整に航空整備事業を専属的に担わせ、日東整を「構造的」に支配運営していた。そこで、両社の事業組織・機構がそれぞれの運営・活動を通して、両社の間に形成されている関係全体(総体としての構造)を構成している諸々の個別の関係・事象(部分的事象)を、判決は、@日東整の設立経緯、A国土交通省航空局航空機安全課による行政指導と日東整、B日東整の株式・資本構成、C日東整の経営陣の構成、D日東整の事業受注の形態、E日東整の収支、F日東整の人員計画、G日東整の整備作業・訓練、H日東整の労働条件、I日東整の福利厚生等々としてそれぞれ抽出しては、その関係全体(総体)から切り離したまま、それぞれの個別の関係・事象を検討しては、これをもって、両社の間の関係全体(総体としての構造)を「総合的に判断」すると、「本質的・構造的な支配従属関係」は認められないとする認定判断を繰り返した。
 判決は、両社の間に形成されている関係全体の中からその一部(「部分」)を切り取り、その切り取られた一部をもって、全体としての関係を認定判断をしているのである。それらの個別の関係・事象としての個々の「部分」を、総合された現実の姿として形象される「全体」の中に位置づけたうえで認定判断しようとはしない。
 これでは両社の間で形成されている関係全体の現実と切り結んだ正しい認識を確保することはできない。判決のこうした「総合的判断」は、裁判官の恣意的判断を隠すイチジクでしかない。
 また、両社の間に形成されている関係全体を構成しているそれぞれの個別の関係・事象としての「部分」を分析的に検討するにしても、それらの個別の関係・事象は他の個別の関係・事象との間で無関係なものとして存在しているのではなく、それらが有機的に結合して相互にそれぞれの機能を果たしている関係として存在している現実を、正しく認識・把握する検討作業を積み重ねる必要がある。
 そうして分析検討した個別の関係・事象を総合したうえで、両社の間で現実に形成されている関係全体を把握したうえで、両社の事業組織・機構が相互に全体として活動・機能している中で、それらの個別の関係・事象がどのような意味・位置づけを与えられて機能しているのかについて、あらためて認定判断されるべきなのである。
 以上の分析検討は、いわば「部分から全体へ」、そして、「全体から部分へ」と往復・循環する分析検討によって、両社の現実の姿・関係を厳密に検証しようとするものである。したがって、「部分」についての検討は、「全体」についての認識に到達するまでの「仮説的」な検討判断にとどまる(間宮陽介「丸山眞男を読む」岩波書店292頁以下、丸山眞男「政治の世界」岩波書店402頁以下)。ここで「仮説的」というのは、例えば、JALが日東整の事業を支配・運営するにあたって、日東整の株式を50%を保有しているという事実を捉えて、即、過不足なく支配決定しているか否かを認定判断するのではなく、50%の株式保有をしていることにより、とりあえず日東整を一定程度支配している事実を踏まえるということである。そして、その事実がほかの個別の関係・事象と有機的に相俟ってどのように全体としてどのように機能していくのかの検討判断に向かっていくことによって、JALと日東整との現実の姿・関係、その全体としての構造を把握していこうとするものである。
 こうした「部分」についての「仮説的」な検討判断を重ね、総合した「全体」についての認識を獲得したうえで、「全体」のなかで「部分」がどのように機能しているかをあらためて検証しなければならない。そうした個別の関係・事象についての検証作業を積み重ねることによって、両社の間で形成されている関係全体の現実の姿を正しく認定判断が必要とされていたのである。しかし、判決が「総合的判断」とはいうけれど、なにをどのように総合して判断したのかわからない。だから裁判官が「総合的に判断」するというときには、私たちは警戒しなければならない。
 話はだいぶ脇道にそれた。安倍政権の「総合的判断」なるものが、権力者の恣意的判断そのものであることを、ここであらため強調しておきたい。

 
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