自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ

二上・土橋・吉田法律事務所 二上 護


 長らく団に顔を出してない私に依頼がきたので、少し意外な感をいだきました。自分のいたらなさを実感しつつも、身近な若手団員を思いつつ、身を低くして述べたい。
 今の社会、時代のなかでのことに十分思いを致しつつ、あたった事件には全力でとりくもう。
 私が最初にぶつかった大きな争議は、昭島の電子顕微鏡メーカー日本電子における1967年の、時間短縮、賃上げ要求の闘争でした。若手組合員が、1月から7月まで、団体交渉の要求、ビラ貼り、赤旗掲揚、屋内デモ、リレースト、ピケを駆使して闘いました。目をみはるたたかいでした。
 会社は66年末作成の労使関係法研究会報告書を武器とし、これらをことごとく違法として幹部15名を解雇して組合破壊をねらったのです。解雇理由は実に81項目に及び、その全てが私の担当となりました。膨大な記録に取り組み、その一つ一つについて的確な分析が求められていると思いました。闘争は10年に及び、77年に和解により勝利し、職場復帰が実現しました。
 87年、三多摩法律事務所の20周年記念誌にこの争議について報告しました。私は「この青年労働者たちの姿は、今日において、どこに見いだされるのであろうか。」と記したのです。
 常に大衆、民衆、働く人びととともにあろう。たたかう人びととともにあるほど幸せなことはない。
 自分は鍛えられ、育てられたのである。
 大衆闘争という点での最大のたたかいは山梨勤医協の再建闘争でしたが、古希の文に書きました。興味のある方は、是非、「いのちの平等をかかげて 山梨勤医協50年のあゆみ」合同出版発行をご覧いただきたい。
 たたかいということについて、常に思い浮かべるのは、日本の一番困難であった一つの時期、1933年12月から45年10月まで治安維持法違反などで獄中にあった宮本顕治氏が我々弁護団に語った言葉、「自分がたたかいを止めた時が負けなのだ」です。
 私の座右の書ならぬ乏しい蔵書の第1は、河上肇著「自叙傳」岩波書店です。その「自畫像」に「同志山本宣治兇刃(きょうじん)に殪る(たふる)」があり、警官により阻止され述べ得なかった「告別の辭」が掲げられています。山本宣治は、最高刑を死刑とする治安維持法改悪に国会でただ一人反対し、29年3月5日、暗殺されました。
 その山宣の通夜の席上産声をあげたのが、今の全日本民医連の前身の運動です。これらについては、「無差別・平等の医療をめざして」発行者・全日本民医連、発行所・保健医療研究所を参考にしていただきたい。
 その全日本民医連のたたかい方は、常に「たたかいと対応」です。たたかいつつも、成立した法の下では民衆のために全力で対応し、その対応の中から新たなたたかいを組織するということでしょうか。
 いつも広く学ぼう、特に、歴史、政治、経済を。
 私は政治コース卒で、政治学、政治外交史、日本政治思想史、経済学、財政学などの単位を一通り取ったのですが、山歩きの傍らでして、身につかなかったと残念に思っています。そう思っている人は多いでしょう。弁護士として事件に全力をそそぎつつ、常に広く読み、時代を見ていきたいものです。
 今の時代であれば、イスラムを知ることは必須だと思います。親しい同僚に求められて推薦したのは、「イスラーム国の衝撃」池内恵著文春新書15年発行、「イスラムを生きる人びと」川上康徳著岩波書店12年発行、『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー著(アフガン出身サンフランシスコ在住の作家)紀伊國屋書店11年発行の3冊で、加えれば「イスラーム文化 その根柢にあるもの」井筒俊彦著91年発行岩波文庫です。
 最後に、常に謙虚でありたいと願っています。

 
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