自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

「若い団員へ」学校事故裁判の今後の課題

南北法律事務所 原田 敬三


 学校事故裁判を20年間続けてきて、手が届かず、遣り残した課題が多々ある。
 まず、学校事故で柔道事故死とされる児童生徒の死亡例が累計100人を超すという現実と、この事に真摯に取り組み解消しようとする姿勢が柔道界・文科省・学校現場の何処にもないことが挙げられる。
 諸外国では『日本の精神』を理解し実現するスポーツとして柔道が広く普及し、世界柔道大会で外国人が優勝する例もめずらしくないが、「死亡事故続発」には耳を疑うそうである。
 なぜなら、そもそも柔道で死亡するという事故が起きていないからである。「スポーツの柔道でなぜ死亡事故が起きるの」「それがなぜくりかえされるのか」という素朴な疑問に日本の柔道界は答えられていない。死亡事故を起こした柔道教師は「業務上過失致死」罪で起訴されそうなものであるが、その有罪判決の前例は聞いたことがない。この問題を置いてきぼりにしながら中学校の正規授業に組み込まれたことを危惧する関係者の声は今もって根強い。
 学校事故の根本的改善方策は教員養成課程にあると見てよい。
 そもそも柔道に限らず、スポーツ全体に関わる分野で児童生徒の生命安全を目標にする授業は教員養成課程に組み込まれていない。大学の教員養成課程の授業に「学校安全」の講義を必須科目に取り入れればよいのであるが、文科省はこれを実施しようとしない。このままでは子どもを奪われた親は子どもの命を奪った教師の処罰や退職を求める方向に突き進むばかりである。
 つぎに「いじめ」問題がある。文科省は「政府の方針」として「いじめ撲滅」の取り組みを掲げ、新聞で読む限りは、その取り組みは、総合的に華々しく展開されているかのようである。しかし、ひとたび、裁判になった場合の対応はがらりと変わる。各地の県や市町村の教育委員会は「文科省がその根絶を目差しているいじめ問題で自殺者を出した」事件では悉く争い隠蔽を図る。事故の原因を隠蔽し、その責任を認めようとしない「官」の悪しき伝統が日本にある。この伝統こそが被害者を苦しめる原因となる。裁判では、被害者側が立証の負担を負う原則が働き、裁判の勝利には、矛盾と向き合い臨まなければならないため莫大なエネルギーが求められる。
 上述したように、いじめの加害者とされる学校が立証に協力することは期待できない。この実態はある意味当然で「全く知らなかった」と白を切ることが常套化している。
 近年この隠蔽に穴をあけたのが「第三者委員会」の設置で、この委員会による事実解明である。責任解明を目的に持たない委員会制度であるものの、適切な人選を得られれば、隠蔽一筋の学校と教育委員会当局よりずっとましであることから、今日では、試行錯誤を重ねつつもこの制度を有効に機能させ発展させることが強く期待されている。
 近ごろ思う一言を
 「新聞は読まず、ケータイでニュースを読む」ということで満足している新人諸兄姉を目の当たりにして思う一言を書き記し纏めにしたい。
 新聞はその報道の軽重が活字の大きさと紙面に占める割合で示されている。ケータイではそれが分からない。ケータイでは自分が関心のあるテーマだけを拾うことになる。新聞紙は最低その新聞が「大事と思うこと」を一覧している。好き嫌いの基準ではなく、社会的関心を一覧している。好き嫌いの基準は偏った情報収集に道を開き、異論を無視し、やがてその異論の排斥にまで手を広げてしまうかも知れない。新聞紙面を通して得た情報は、自分の意見を正しいものとしつつも、その意見が少数派であることを理解し受け容れる手がかりを与えてくれよう。何よりも独善的に陥らず客観性を保つ一手段となり得ると感じる。
 客観性の維持は私たちの職務に大切な資質であると思う。新聞はその報道の軽重が活字の大きさと紙面に占める割合で示される。ケータイではそれが分からない。次に、ケータイで自分が関心のあるテーマだけを拾うことになる。新聞紙は最低その新聞が「大事と思うこと」を一覧している。好き嫌いの基準でもなく、社会的関心を一覧している。好き嫌いの基準は偏った情報収集に道を開き、異論を無視し、やがてその異論の排斥にまで手を広げてしまうかも知れない。
 新聞は自分の意見を正しいものとしつつ、その意見が少数派であることを理解し受け容れる手がかりを常に与えてくれる。何よりも独善的にならないことの保証になる。これが私が新聞を読もうと呼びかける理由である。

 
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