自由法曹団 東京支部
 
 
トップページ 先輩方のメッセージ

団支部の活動紹介

「たたかってこそ明日はある」

城北法律事務所 菊池 紘


 求められたのは「若手弁護士に向けてのメッセージ」だ。先輩から若手弁護士へ向けてといわれると、上から目線になりそうで、難しい。若手のみなさんに限らず、東京支部の皆さん、そして各地の団事務所の事務局の皆さん相手に、今考えていることを勝手に書かせていただこう。

  1. 「たたかってこそ明日はある」
     東京の代表的大企業石川島播磨重工業には、たたかう労働運動があった。1970年頃全造船石川島労組の執行委員をしていた稲田さんから相談を受け、組合活動を理由とする賃金差別の是正を求めて、東京都労働委員会へ提訴した。池袋から江東区枝川の事務所に毎週通った。数百名の活動家たちは、その後、三人に一人を2ヶ月で退職に追い込んだ「7000人首切り合理化」と正面からたたかった。解雇、配転、差別、村八分の熾烈な攻撃をはねかえし、職場内外の労働者に「たたかってこそ明日はある」と呼びかけ、ねばり強く抵抗した。賃金差別の提訴から30年あまりのたたかいの結果、会社は解雇を撤回し、職分・賃金差別を是正し、「賃金・資格、仕事、行事参加などで差別的な人事管理が行われたと受け止められてもやむをえない状況があったことを認め」「反省の意を表明し」「労務政策としてとしての再発防止策を徹底することを確約し」解決金12億円を支払った。会社はすべての職場でこの内容を報告し、全従業員に配布したコンプライアンスガイドで「ビラの配布などの活動の妨害をしない」「思想信条、労働組合の活動を理由として不当に低い人事考課…業績評価をおこなうことをしない」等々を詳細に約束した。70年代以降大企業の差別・権利侵害とたたかう職場の自由の運動が高揚したが、その一つの到達点を示す勝利決着だった。
     「自由法曹団物語・世紀をこえて」で石川島播磨重工の争議について書いたが、その表題を「たたかってこそ明日はある」にした。他との関係もあるから変えてほしいとの話もあったが、頑固にこの表題に固執した。西武バス解雇争議の大野さんが、「ほんとうにその通りと思うよびかけだ」といったが、私もそう思う。ほかの争議団のおおくの人々からも「気持ちにぴったり」などと、同じことを言われた。
     「たたかってこそ明日はある」・・・・これは石播争議の経験を超えた私の確信だ。
  2. 「求められたら応える」
     かつて宇賀神直さん(元自由法曹団団長・大阪)に、大きな裁判でも団体の仕事でも、「求められたら応えることだ」と言われた。求められたら、可能な限り応えるようにしてきた。(もちろん、いつでも応えられるわけではない。その時は応えられない所以を丁寧に説明する。)要請に応え努力するなかで、それが厳しいものであればあるほど、自らの識見もひろがり、その力を次の仕事に返すことができる。
     「この問題は、この領域は私が責任を持つ」、そういう場を持つことは、ある意味でたのしい。責任の重さに神経をすり減らし消耗するが、困難の中で自ら考え工夫し、その工夫が的を射て大きな前進をした時の喜びは、何ものにも代えがたい。私にとっては、ある時期の石川島播磨重工の争議、金属をはじめとした板橋区労連の労働運動、国鉄闘争(国労池袋と全動労)、深夜勤、不足金、組合事務室不貸与など郵政産業労働組合(今の郵政ユニオン)の一連のたたかい、そしてここへきて、この間の練馬の諸運動がそれにあたろうか。こうしたつながりの中で、どれだけ創造的で豊かな経験をさせてもらったことか。
  3. 「いまを生きる」
     ここまで目を通された方に「昔話を読まされた」といわれるのをおそれる。回顧談のための回顧談は嫌いだ。これまでの経験をふまえ、今どう考え、なにをするのか。秘密保護法が強行され集団的自衛権の閣議決定がされ、歴史の修正が横行するこのとき。原発再稼働が企てられているこのとき。しかし他方で、金曜日の官邸前行動がねばり強く続き、女性の行動、地方の怒りなど、弁護士になった46年前にはなかった新しい動きが顕著なこのとき、若い人々の行動にも教えられながら、迷いながら、前を向いて歩みたい。
 
自由法曹団東京支部 〒112-0014 東京都文京区関口一丁目8-6 メゾン文京関口U202号 TEL:03-5227-8255 FAX:03-5227-8257