自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

〜若手弁護士へのメッセージ〜 組織活動を前進させるために

池袋サンシャイン法律事務所 田中 富雄


第1 組織活動の前進へ(若干の体験談)
はじめに(先輩の至言)

 「現代日本の弁護士は、すぐれた専門家・政治家・組織者・経営者でなければならない」
 藤本斉前支部長が40回支部総会で鷲野忠雄団員のこの言葉を紹介し、閉会の挨拶をしています(「支部ニュース」460号)。関連させ私の拙い体験と司法改革への所感を少し述べます。何か参考になれば幸いです。

  1. 東京合同法律事務所のために
     私は、司法研修所で青法協の活動を目一杯やり、1967年二弁に登録(19期)、東京合同法律事務所に入りました。32歳でした。その後の主な経歴は、79〜80年に団東京支部幹事長、77年二弁司法問題懇話会事務局、83年同向陽会創立に参加し88年まで向陽会共同代表、94年田中法律事務所開設、2013年池袋サンシャイン法律事務所へ。
     合同の先輩は、49年頃全国で多発した大謀略事件の弁護に追われていましたが私が入った頃はようやく落ち着き、定期に事務所会議も開けておりました。会議では弁護活動の経験、検察官・裁判官批判、裁判を大衆的に闘う目的、方法などを議論し、弁護士聞の厳しい相互批判も交わしていました。無味乾燥な司法研修所と打って変わり、新米にはまるで学校のように新鮮で、私のような苦学型高齢新人を快く迎えてくれ事務所に感謝しました。
     ケネディーの演説ではありませんが、「合同に何をしてもらうか」ではなく「合同のため何が出来るか」を考えました。情勢が落ち着ついたとはいえ、先輩方は相変らず忙しく留守がちで、事務所の経営基盤の稀弱さを感じ、補強策を考えました。当時、都内に地域事務所がドンドン誕生し「社会主義的競争」が激化、打開は容易ならざることでした。入所翌年2月11日(建国記念日)、きっかけが出来ました。港区共産党の都議・区議候補の街頭法律相談会への協力依頼です。私が指名され、寒い白金の公園に一日中居ましたが相談者は零。終了後に相談、労多く益少ない方法を改め、定期化した相談会を私が担当することになりました。合同は弾圧事件の全国センターと位置づけ、地域活動進出に消極的な意見もありました。空中戦は避け若手中心で出発し、港区全域での法律相談やその他の地域活動をあげて取り組むまでに全約20年近い歳月を要しました。
  2. 二弁改革へ
     並行して二弁改革の活動に参加しました。
     私たちが弁護士になる少し前までは団と日弁連がときに対立的な局面に至る場面もあったと聞きます(例、メーデ一事件が荒れる法廷といわれるなか、上田誠吉さんが「自由と正義」の編集委員の依頼で裁判所がひどい訴訟指揮をやり、弁護人がそれと闘い、被告・弁護士の権利擁護のため,如何に正当な法廷活動をしているか、その実態を分かり易く書いたところ掲載を拒否―弁護士会が弁護人の法廷活動をバックアップするのではなく、逆に、裁判所と同じ立場でこれを規制する役割を果そうとした)。
     東弁の先輩は、このような会の姿勢を変えるため期成会を中心に努力し、民主化の実を上げていきました。他方、二弁は遥かに遅れ、私が入会した当時でもそうした民主化活動に歯止めをかけ、東弁を孤立させ、官側に迎合する動きが目立ちました。少数ながら私たち若手団員は、各自が10年余に亘り地道に委員会活動等を続け、知己を得、信頼を深める努力を続けました。そして77年に土屋公献さんらと超会派の政策研究会「第二東京弁護士会司法問題懇話会」(代表者なし、事務局は問屋征郎、私の他6名)を立ち上げました。その懇話会は約6年間、35回に亘る例会を開き、会内外への意見表明や改善申し入れ活動などをしました。無会派ながら「一言発言」をと会内のあちこちに顔を出すので「田中派・田中軍団」とからかわれもしました。そして83年遂に向陽会の旗揚げに漕ぎつけました。
     その後、弁護士会の社会的活動を制約しようとたくらんだー・二弁有志の「自制・限界派」と闘い、機構改革を進め、悪法反対活動にも取り組みました(詳細、東京合同法律事務所編「右往左往30年」、「明日への歩みのために」「世紀を超えて」)。
     以上概略的に書きました。一口に言って、少数派が、逆風下でコツコツ信頼を得、組織を創立・発展させるという活動は大変でした。中心者は過酷でした(私の場合、例えばある時機乞われ断れないままに日弁連3、二弁9個の委員会・・・内委員長2、副委員長2をかけ持ち、こなすだけで大変な事態でした。何の余裕もなくなり、青法協、日民協、労働弁護団の全部を唐突に辞めてしまいました。特に7年間事務局を務めお世話になった労働弁護団の諸先生には大変な失礼をしました)。
     こんな役回りは私一人の犠牲で沢山、他に押し付けてはいけないと覚悟し霞が関界限を走り回りました。
     弁護士も楽ではありません。でも、先輩たちは多かれ少なかれ皆やってきたことです。
  3. 組織活動の財産と期待
     私、間もなく80歳です。月日の速さにあ然とします。半世紀近い弁護士生活でこれといって誇れるものはありません。父、兄を戦争で失いながら反戦平和の諸活動をしなかったこと、侵略の謝罪と慰霊を兼ね父の最後の地(中国河北省)を訪ねられかったこと、が悔やまれます。
     しかし、その後東京合同が地元に密着し、港区内での法律相談活動を定着させ、「みなと9条の会」などの諸活動を大いに発展させています。
     向陽会は、創立30年を迎え、毎年執行部の一角を担い、信頼を強めています。保守派に包囲され何時潰されるかと緊張の船出でしたし、戦後誕生した幾多の労組その他の民主組織が逆風で潰され、厳しい闘いを強いられている姿に思いを致せば感無量です。加えて、二弁に図書館は要らないと公言する反対派と闘い、向陽あげて取り組んだ東弁二弁合同図書館が無事立ち上がり、向陽からの館長が私、谷村、藤本と三代続きした。09年には小池振一郎団員が会長選挙に立候補しました。向陽は熱く結束し、憲法擁護、司法改革、二弁の活動強化の旗を掲げ、大会派と堂々と闘いました。
     向陽の皆さんは温かく、私が健康を害し困っていると責任・負担なしで事務所に迎えてくれ、また合同も復帰を熱心に誘ってくれました。有難いことです。
     人間には寿命や停年があります。組織は、個人の限界を超え、大きな役割を果たします。国の変革さえ担います。若手の皆さんには是非、事務所を変え、自由法曹団を変え、弁護士会を変え、司法を変え、国を変える優秀な組織者になって頂きたいと期待しております。
     ※「組織者」・・・団体の役員を務めることだけを意味しません。例えば、会議を企画、必要資料の準備、メンバーの出席確保、討議のリード、初期の目的達成。こんなささやかな日常行動も極めて重要な組織活動と思います。

第2 司法改革を前進させるために―若手への期待(文献の紹介をかねながら)
 今次司法改革は国家百年の大事業です。この改革で起訴前国選弁護の実現など重大な成果をあげてきました。他方、日弁連会長選挙に象徴されるような対立が今日なお存在し残念です。早く克服し改革を迷いなく進めなければなりません。
 私が改革前進に役立ちそうだと思っていることを2〜3堤起してみます。

  1. 信頼出来る資料で建設的議論を
     日弁連を一枚岩にするためどうするか。一つは、改革にまつわる会内の無用な誤解と偏見を取り除くこと。そのため、日弁連のこれまでの活動経過を事実に即し理解することが重要です。日弁連法務研究財団編「法と実務」9号(商事法務)の「司法改革の軌跡と展望」(「軌跡展望」という)が役立ちます。90年に始まった今次司法改革に参加した弁護士有志が改革の全体像や重要テーマについて、その軌跡を総括し、到達点と今後の展望をまとめています。改革に質成・反対、積極・消極いろいろ意見がありますが双方がこの資料を共通に読み、あるいは筆者らを講師に招き、率直に論じ合っては如何でしょう。
  2. 改革の主要対象が裁判所(司法官僚体制の解体であることを鮮明に
     いま、改めるべき日本司法の最大の病理は裁判所です。日弁連は、再びこれを内外に鮮明に打ち出し、改革の主な対象は弁護士会だという最高裁らのまやかしに毅然と対決する必要があると思います。
     元東京地裁の瀬木比呂志著「絶望の裁判所」(現代新書)が反響を呼んでいます。元裁判官ですら、否、元裁判官だからこそ日本の裁判所・裁判官制度の抜本的改革が法曹一元、最高裁事務総局人事局の解体しかないと断言したのです。(p220の要旨)。同書の改革論は、多くの元裁判官らが構想する基本方向(例守屋克彦編著「日本国憲法と裁判官」日本評論社)や矢口元最高裁長官がかつて活力を失った司法を憂い、転換的改革を示唆した反省的言辞(「軌跡展望」p89)とも符合しています。表題が衝撃的過ぎ内容への評価も分かれると思います。ただ、裁判所内に深刻な病理がまん延し、根本的改革が急務であることを元裁判官自身が強くアピールせざるをえなかった、その切羽詰まった心情を弁護士らは真撃に受け止めるべきではないでしょうか。日弁連は、最高裁自身が根本的な自己改革の意識も能力を失い深刻な事態にあることを踏まえ、司法官僚体制の解体と法曹一元の実現を改めて宣言すべきものと思います。弁護士会の沈黙は司法官僚体制の擁護に通じます。
  3. 司法改革で掲げるビジョン(目標)・道筋(方法)と個別改革の結合を
     司法改革に求められるビジョン(目標)とそれを実現する道筋(方法)を夫々明確に関係付け個別改革にあたるべきでしょう。
     根本的な制度改革を進めるうえで、改革のビジョン(目標)と改革の道筋(方法)を明確にする必要を強制したのが金子勝・神野直彦著「失われた30年」(NHK出版新書)です。
     要旨次のよう述べています(p154〜157)。
     ・・・改革には現実に生じている問題を解決する「問題解決型改革」(「パッチワーク型改革」)とビジョンを描いて制度を根本的に改める「ビジョン型改革」がある。後者では目指すべき目標(「点」)を明示する必要がある。改革は妥協も必要。目標(「点」)がないままに妥協を繰り返すと切れた凧のように「迷い人」になる。「迷い人」にはまず目的地を示し道順を教えることが大切・・・。
     今次司法改革はここでいう「ビジョン型改革」に当たるでしょう。日弁連は、司法救済を要する多くの国民が救済されていない現状を変えるため「市民のための司法改革」を「目標」に掲げ、実現の「方法」として「大きな司法」「裁判官の増員」「司法官僚制の解消」を主張しています(「軌跡、展望」p33)。私は、「市民のために」とったビジョン(目標)が抽象的に過ぎ混迷の要因になるのではと心配しています。抽象的なビジョン(目標)で妥協(改革)を重ねれば方向を見失い「迷い人」になる恐れが出てくるからです。
     仮に、上記のビジョン(目標)を堅持するとしても、少なくとも改革の主な方法(道筋)が、司法官僚制解体と法曹一元の実現、さらには陪参審の導入など将来の可能性をしっかり見据えること、そのうえで、現在直面している法曹人口論、合格者数調整論、法科大学院整備論、修習期間短縮論、給費カット論、裁判員制度改革論などについて、どのようにすれば司法官僚制解消、法曹一元の実現へ、より近づき、より結びつくか、将来を展望しつつその在り方を考える。これが「迷い人」にならない正しい進め方ではないでしょうか。
  4. 司法改革の目標達成の暁には
     弁護士会をリードし、国民運動を起こし、最高裁を孤立させ、2050年頃には司法官僚制を打破し法曹一元を実現したいものです。運動の組織化は団員に打ってつけの役です。裁判所が民主化されれば違憲判決も増え、チェックアンドバランスが働き、政治の暴走を防げます。戦争は簡単に出来ません。弱者が救済され、人権大国になります。弁護士は市民社会の代表者として司法に主体的に携わり職域が飛躍的に広がります。この点では、やや古い資料ですが渡辺洋三「日本をどう変えていくのか」(岩波新書)が大変参考になります。若手の決起を期待しています。
 
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