自由法曹団 東京支部
 
 
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若手弁護士へのメッセージ

五反田法律事務所 亀井 時子


 法的紛争というものは社会の情勢によって変化します。私が弁護士登録したのは昭和42年。東京南部法律事務所に入所した昭和44年当時は、東京オリンピックの余波と庶民も借りられる住宅ロ−ンによる建築ブ−ムで、戦災から焼け残った長屋や木造アパ−トの立退請求が多い時代でした。当時、大森簡裁に常時30件から40件の立ち退き訴訟の被告事件をかかえていました。法的解決ができる訴訟は良い方です。暴力団まがいの事件屋が跋扈し、玄関を外から釘付けされたり、家の中に布団を持ちこんでいすわられたり、私道に塀を作られて自宅に入れなくなったりと、実力で追い出して一丁上がりも多かったのです。私は妨害排除の仮処分の事件番号1号から10号までとったこともありました。労働事件・弾圧事件専門の弁護士が多いなかでゴミ事件専門家と皮肉られましたが、依頼者の家でお茶を飲みながら「どうしようかね」と依頼者の悩みを聞いて解決していくことも立派な人権活動だと思っていました。弁護士なんか見たこともない、弁護士に相談なんて考えたこともなかった南部地域のおばさんたちとのおしゃべりが市民の司法アクセスを考え始めた原点でした。
 とはいえ、蒲田は南部工業地帯、労働組合も強く弾圧事件も多い時代、華々しいとはいえない町工場の労働事件やビラまき、ポスタ−貼りなどの刑事事件も多数やってきました。その中で当事者になってしまったのが麹町警察署事件です。母親大会のポスタ−を貼った女子大生が逮捕され、日曜日の朝8時半に澤口嘉代子、椎名麻紗枝弁護士と19期の女性弁護士3人が麹町警察に接見に行ったところ、日曜に面会なんかできるわけないだろうと接見拒否。抗議する中、多数の警察官に取り囲まれ、罵詈雑言を受け、階段から突き飛ばされるという事件でした。当時は、土日夜間は面会できないのが常識でした。松井繁明団長のもと、約20名の弁護団で損害賠償訴訟。当時は接見拒否の訴訟は珍しかったと思いますが、一審は30万円の判決、仮執行して、みんなで祝勝会で飲みきりました。二審は、私(当時は中村)が抗議して挑発したと過失相殺されて15万円に値下げ。警察官が「中村が何言った、かにした」とウソのつき放題で、嫁入り前なのにと、本当にくやしい思いをしました。飲んじゃった30万円がどうなったか。被告の東京都も「返せ」と言ってこなかったので、そのまま。
 昭和52年、五反田法律事務所を設立しました。このころから、司法アクセスを意識して弁護士会法律相談センタ−と法律扶助の活動を軸足においてきました。市民がどこでも、気軽に、弁護士の法律相談を受けられるようにと全国に法律相談センタ−設置をすすめ、過疎地にひまわり公設事務所の設置も実現しました。経済的に困窮した市民も平等に司法の支援が受けられるようにと目指した法律扶助制度の拡充は遅々としたものでした。平成時代でも、プロ野球の清原選手の年俸より低い国庫補助金。諸外国を視察し、法務省へ意見書を積み上げた結果、法務省は法律扶助制度研究会(竹下守夫座長)を設置しました。「法律扶助は弁護士を食わせるもんじゃない」などの法務省との過激な議論を経て、妥協の産物でしたが、平成12年に民事法律扶助法ができました。一方、平成2年、司法アクセスも柱の1つにした日弁連の司法改革推進センタ−にも参加しました。平成12年、内閣府の司法改革推進本部の下に、各界10名の委員からなる11の検討会が設置され、日弁連推薦で司法アクセス・弁護士費用敗訴者負担検討部会(高橋宏座長)の委員となりました。「司法アクセスの理念」は全員賛成で問題もなく、争点は弁護士費用敗訴者負担でした。国の会議は、国の方向に合致する委員を選任することで、ほぼ決まりなのです。反対は日弁連と消費者関係の委員だけ。集中攻撃を受ける中で孤軍奮闘でした。当時日弁連のバックアップ委員会は担当副会長が徳島の津川博昭団員、事務局長は前東弁会長の斉藤義房団員、坂勇一郎団員などに支えられました。勝訴見込みが確実とはいえないような公害、薬害、労働、行政、原発訴訟などが敗訴した場合、勝者の弁護士費用を負担する制度により訴訟が抑制されることは明らかでした。その後、市民をまきこんだ日弁連や団の運動によって、法案化が阻止されました。司法改革の多くの立法の中で唯一、通らなかった制度です。その後、過激にやりあった法務省から推薦されて、小泉総理大臣目玉の「タウンミ−ティング・広島」で杉浦法務大臣等と鼎談したり、法務省の司法参与になったりと、いろんな経験もしました。検討部会のテ−マであった「司法アクセス」は、日本司法支援センタ−(法テラス)の設立となりました。私は平成18年設立当初から法テラス東京地方事務所の副所長(現所長は永盛敦郎団員)をしています。法務省管轄の独立行政法人という仕組みには問題が多々ありますが、地方事務所は多くの弁護士によって運営されていることで弁護士自治が担保されています。危険だから反対する、契約もしないではなく、市民のため、弁護士のための制度として活用し、制度の改革に積極的に参加していただきたいものです。運動の成果として、過疎地はなくなりつつあり、市民が利用しやすい司法の制度も芽が出てきましたが、いつも危険と隣り合わせです。法テラス東京全体では、17000件の代理事件の当事者の生活保護率は34%、上野センタ−(台東区、足立区等の管轄)では45%です。弁護士に最も遠い存在であった経済的困窮者が免除制度も利用して弁護士の支援を受けられることは意義のあることです。もちろん、まだまだ使い勝手が良いとはいえない制度です。私は、今後も市民のための司法をめざして、まだやりたいことがある、まだやれると、現場にはりついていきます。若手の皆さんも司法制度の改善に一緒に取り組んでください。

 
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