自由法曹団 東京支部
 
 
トップページ 先輩方のメッセージ

団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ みちのくを駆けた青春

高橋総合法律事務所 高橋 清一


 一 警察官にも黙秘権がある
 1961年(昭和36年)11月5日――ちょうど、日曜日であった――早朝、午前5時30分を少しまわった頃だったろうか、私は、女中さんの「大変です。おきて下さい。警察がきました」という声で、深い眠りの中から、たたきおこされた。私は、その時、岩手県盛岡市の教育会館宿泊部に泊っていた。「あわてるな。すぐゆくから、待たせておけ」といって、背広に手を通しながら、階段をかけおりて、隣の岩手県教員組合本部のある教育会館にかけこんだ。通用口のところで、見知らぬ背広の男が、私の腕をつかんで、入ることを阻止しようとした。私服警官だった。「妨害するな。俺は弁護士だ」といいざま、その腕をふりほどいて、教育会館の中にとびこんだ。
 廊下は、制服警官・私服警官、報道関係者、組合員でごったがえしていた。私は、「警察の責任者は誰か」ときくと、一人の割幅のいい私服が前に進み出て、「盛岡署の者です」といった。「名前は?」ときくと、だまっている。「名前はないのか」とたたみかけると、「いや、警察官にも黙秘権があります」と言った。これには、私たちも、呆れて、声をたてて、笑った。
 私は、その場にきている警官の数がわからないので、「警察官は手をあげて下さい」といったが、一人として手をあげる者はいない。そこで「それでは、警察官でない人は手をあげて下さい」といったところ、報道関係者や組合員はみな手をあげたので、手をあげないでいる者の数を、一人一人、顔をみながら、数えた。20人いた。私服が多かった。
 20人の警察官による捜索に対して、組合側の立会人は一人にするというので、それでは、捜索の公正は担保されない。同数か少なくとも5人は必要だというと、彼らは、組合側の立会人なしに捜索を強行した。

 二 「ドロボー」と警察官を追う先生たち
 捜索が終わって、押収品目録も交付せず、押収書類をいれた段ボールを二人の警察官が左右からもち、そのまわりを残りの警察官たちが、かこむようにして、引き上げるとき、組合の人たちは、組合側の立会人なしの捜索、押収は違法であり、いわば「ドロボー」と同じだと考えて、「ドロボー、ドロボー」といって追いかけた。書記局の女性もその先頭に立った。
 教育会館の隣のサンビルデパートの新築工事現場で働いていた労働者が、「ドロボー」の声でとびだしてきたが、逃げるのが、警察官で、追っているのが、先生たちという光景に、目を白黒させていた。
 新聞記者からの情報で、警察は、予め、盛岡市役所の課長を立会人として用意して同行していたことがわかった。私は、ただちに、組合の委員長と一緒に、盛岡市役所に赴き、この課長から話をきいた。早朝5 時前に、警察からの電話で、盛岡署に行き、立会人を依頼された。平素何かと世話になっているので、断りきれなかった。捜索がおこなわれた組合の部屋の中では、片隅に坐り、早朝からおこされ、疲れも出てきたので、ボンヤリしていたことなどを話した。
 私は、これを、その場で、「弁護士に対する供述調書」にまとめ、課長の署名捺印をえた。

 三 みちのくに移る
 委員長以下7名の幹部が、地方公務員法違反(文部省の全国一斉学力テストをおこなわないで、平常授業をやったことが、公務員に禁止されている争議行為のあおり・そそのかしに該当)で起訴され、876名の幹部・教師たちが、免職・停職・減給・戒告の懲戒処分をうけた。
 私は、これらの事件の弁護に本腰をいれるために、刑事一審判決までということで、東京から盛岡に移り住んだ。
 この頃、東北六県では、民主的、革新的事件の弁護に実質的にあたりうる弁護士は、仙台中央法律事務所の3 名の弁護士だけであった。私が岩手に移り住んでから、岩手県内だけでなく、秋田、青森などで起きた事件の処理のために、私はみちのくを駆けめぐることになった。岩手県だけでも、ほぼ四国四県に近いという広大な面積であった。それに交通機関は十分でなく、移動にも多くの時間を要した(新幹線は、もちろんなかった)。
 私は、岩手に移ってほどなく、北海道生まれで、東北育ちの妻と結婚した。妻は、結婚後、和文タイプ、速記、簿記などをマスターして、私の仕事を支えてくれた。一人事務所、妻が事務員のタク弁であった。
 私は、幼くして父を失い、母子家庭で育った。小学一年生の時であった。
 当初は、医師志望であったが、朝鮮戦争、単独講和、日米安保体制、日本の再軍備などの動きの中から、近・現代史、社会科学への関心をかきたてられ、弁護士志望に変えた。
 私は、核兵器も戦争もない世界を、希っている。日本については、アジア・太平洋戦争(アジアの死者は2,000万人、日本のみで戦争で死亡したのは310万人)・植民地支配の責任を直視すること(村山談話・河野談話よりも、さらに歴史認識を深めなければならない)、人口減に歯止めをかけること(雇用のルールを守り、非正規を是正すること、公務員の7.8%の賃下げを回復すること。リストラがあるのに、賃上げストがないことは、資本主義社会としては片端である、子育てのための保育の待機児童をただちになくすこと)、憲法96条・9条改悪の阻止、原発ゼロ、一次産業を大切にすること、大手メディアの堕落・権力との癒着の是正、小選挙区制・政党助成金をただちに廃止するなどが肝要と思っている。

(追記)
 私には、次のとおり、無罪弁論集全四巻(日本評論社刊)がある。
 「T 教師の良心と民主教育」、「U 秋田から沖縄まで―成熟した労使関係をめざし て」、「V みちのくを駆けた青春―労使関係と人権」、「W 無実の人を無罪に」
 定価U巻六千円+税、T、V、W巻七千円+税。
 A5判、美装、函入り、T、V、W巻平均476頁、U巻309頁、各巻しおり別添 平均15頁・執筆者15氏。
 私にFAXなどを頂ければ、著者割引として、20%引、送料実費(冊数を問わず500円)、送金手数料出版社負担でお頒ちできます(ただし、T巻は残部僅少)。

 
自由法曹団東京支部 〒112-0014 東京都文京区関口一丁目8-6 メゾン文京関口U202号 TEL:03-5227-8255 FAX:03-5227-8257