自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ 団員として―これまでとこれから―

西久保綜合法律事務所 四位 直毅


1 これまで
 私は、1964年春弁護士登録して入団した。来年3月で50年になる。家庭生活と弁護士業務を除き、主として団の諸活動に参加してきた。
 1973年から本部事務局長を2年、78年から本部幹事長を2年、97年から支部長を数年。このほか、本部事務局員、諸委員会、諸対策本部などで活動した。ほかに、弁護士会や日民協、全国革新懇にもかかわったが、主軸は終始、団であったのはなぜか。やり甲斐があり、たのしいだけでなく、居場所として居心地がいいから、とでもいえようか。団が民衆と共に歴史を歩み、いつも困難なたたかいの最先端で切り結んでいることを日々実感して、今に及んでいる。実は、私以外にも、少なからぬ団員が私と同じようにうけとめておられるのではなかろうか。

2 規約改正と八鹿高校事件
 内外の激動を眼のあたりにして、先の展望を思いめぐらすにつけ、これまでの団活動で鮮明に想起されることが、二つある。

(規約改正)
 69年10月に高野山で行われた団総会で、規約2条の目的条項が圧倒的多数で改正された。
 当時、過激派学生の暴力事件が頻発し、その弁護をめぐり「弁護拒否に見る黒い死の思想」などの中傷が団に向けられた。団と団員は反論、反撃するいっぽうで、2年ほどかけて、団として行う弁護とは何か、の討議を全国で重ねた。そのうえで、上述した規約改正に至った。
 第2条は、次のとおり定めている。

 自由法曹団は
 「基本的人権をまもり民主主義をつよめ」
 「平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」
 を目的とする。そのために、
 「団は、あらゆる悪法とたたかい」
 「人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず」
 「ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう。」

 つまり、上記改正により「平和で独立した民主日本の実現に寄与する」として、対米従属の事実を直視し、安保条約を廃棄して真の独立を回復することが平和と民主主義の実現に欠かせない、とした。そして、団の目的を実現するためにも「ひろく人民と団結して」共同を広げ、統一戦線をめざすことを、あきらかにした。
 これらの諸点をふまえて、団の事業として擁護するのは人民の権利であることを明確にした。
 改憲にせよ、原発にせよ、TPPにせよ、オスプレイにせよ、安保条約をふまえたアメリカの圧力が人びとの眼にあきらかになりはじめている。そしてこれらの動きに抗する国民の共同がかつてなく新たに広がりつつある。
 この国のあり方が根底から問われようとしている今、規約2条の実現に全力をあげるとき、ではないか。

(八鹿高校事件)
 74年11月22日、部落解放同盟(「解同」)を名乗る者たちは、兵庫県養父郡の八鹿(ようか)町商店街路上で、折から危険を感じて集団下校中の県立八鹿高校教職員60余名を白昼襲撃し、現場にいた八鹿警察署長以下警察官らの眼前で、殴るけるの暴力をふるい、さらにうち52名を校内に連れ戻してメリケンサック、鉄のバール、鋲を打ち込んだ特製半長靴、棒切れ、タバコの火、バケツと冷水などで残虐なリンチを加えるなど、13時間にわたり暴虐の限りをつくし、女性7名をふくむ58名が重軽傷、うち29名が入院、数名が危篤状態におちいるという、この国の教育史上未曽有の大惨事が発生した。警察は県や町の当局、教委などの意向を汲み、教職員らの救出を放棄し、現場に到着した県警機動隊は暴力がほしいままに行われている学校を包囲するのみであった。このとき、暴力集団と正面から対峙して「暴力反対!先生をかえせ!」と叫び、一歩も譲らず、ついに暴力集団のリーダー(丸尾)に暴力を認めさせたのは、八木川の川原に集まった八鹿高校男女生徒約1000名であった。
 12月1日、同じ川原に、北海道から沖縄まで17500余人がつどい、但馬の冬空をゆるがせた。マスメディアは後難をおそれてか、この事件を(少なくともすぐには)報道せず、このような事態を断じて許しがたい、といち早くたちあがったのは共産党と団であった。団は、翌75年1月11日、城崎でこの件についての全国幹事会(1都2府21県103名)を開催し、翌日、雪の中を八鹿町でデモ行進し、町民を激励した。長期間にわたり、全国各地の団員が次々に八鹿へと支援に出向いた。

 上田誠吉さんは、この件の中央連絡会議結成総会で、次のとおり指摘した。
 「私たちは、『解同朝田派』の暴力支配の中に、あたらしい下からのファシズムの動きを認めます。(中略)」
 「自分の意見に同調しないものに集団的リンチを加え、新しいタブーをつくりだして言論の自由をおさえ、自治体と警察と結んで地域的な暴力支配をうちたてるこのやり方をみすごすならば、私たちの日本の将来、二〇年三〇年の将来の動きを決するほどの大事に至るでありましょう。」(自由法曹団物語―世紀をこえて―(下)151頁。八鹿高校事件については同書145頁以下にくわしい。)

 以上の指摘は、集団的リンチや暴力支配などの点を除くと、日本維新の会と大阪橋下市長や名古屋河村市長らの動きにも、通じるものである。しかも、維新の会と橋下市長らは大阪からさらに全国へ、と広げる動きをひき続きつよめている。八鹿高校事件で問われた課題は、まさにこんにちの課題につながるものである。

3 これから
 この国も世界も今、歴史の大きなかわりめのときにさしかかりつつある。問われていることは2つ。1つは、新自由主義(格差・貧困の拡大と民意を無視し国民を抑圧する強権政治をめざすもの)とその先鋒隊などにどう立ち向かい、1日も早く終止符を打たせるか。もう1つは、この国の主権者である国民本位の国づくりとそのための政治改革をどう進めるか。この2点に帰着する。とりわけこの国では、明文・立法・解釈改憲の企てをはじめ、原発、消費税、TPP,オスプレイなどをめぐる双方のせめぎあいがくりひろげられている今、この対決に勝ちぬくための国民の側の力は、広く深い共同と、その力で選挙と世論と諸活動による政治選択のとりくみをつよめることであろう。紆余曲折はあろうとも、この力が、結局は新たな展望と進路を切り拓く原動力であることは、世界の歴史と現実が証明している。歴史のこのような局面にさしかかりつつある今このとき、悔いなく規約2条の実現に全力をあげようではないか。若手団員は今、原発、非正規、日航、横田などなど多様な分野と問題で活動している。各地でも若手の会その他による支部と地域の活性化が進みつつある。若手団員らのこれらのとりくみは、団とこの国の未来へとつながるだろう。
 私も、これまでにもまして、支部と若手の皆さんと共に、国民本位の国づくりに励み、新たな夜あけを迎える喜びを共にしたい、と思う。

 
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