自由法曹団 東京支部
 
 
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若手弁護士へのメッセージ 駆け出し弁護士の頃

青葉総合法律事務所 鍛治 利秀


1,私は、1960年弁護士登録の12期です。
 当時は、自由法曹団系の法律事務所は、東京合同事務所、第一法律事務所の他は団員の個人事務所が頑張っていた時代だと思います。労働事件を扱っている事務所も、黒田事務所(今の東京法律事務所)、旬報事務所、佐伯事務所、などで、若手弁護士がそれぞれの事務所に配属されて活発に活動を始めている時期でした。
 私は、尾崎 事務所に入所しました。尾崎先生と同期の早稲田大学の野村平璽先生に師事していたので、勧められたのです。

2,1960年、もう半世紀前になりますか。労働組合のナショナルセンターとしての総評が、世論に大きな影響力を持っていた時代でした。労働運動としては、国鉄、炭労、日教組などが大きな力を持ち、王子製紙・三井炭坑の大争議があり、スト権奪還闘争、勤評反対、学力テスト反対などが、各拠点毎に激しい闘いを組み、政治活動としては安保改定反対闘争が全国的に闘われた時代です。
 この様な運動の高まりの中で、闘争の現場で弁護士の要請が多くありました。産別単産は、それぞれ顧問弁護団を持っていましたが、各地で闘争が始まるととても人数が足りませんでした。
 そこで、東京や大阪の若手弁護士を闘争現場に派遣する役割を、総評法対部に詰めていられた内藤功弁護士が清水争対部長と、事務所の枠をはずして、担当していました。
 東京の12期には、既に亡くなられた黒田事務所の齋藤弁護士、旬報事務所の陶山弁護士がおり、私も含め、弁護士バッジを付けるやいなや、先輩に連れられたり、一人でも、現場に投入されました。

3,安保反対闘争では、連日多くの労働者市民が街頭デモを行い、国会前に終結していました。フランスデモという言葉は今では死語になっています。デモ隊が両手を拡げて大通り一杯の幅でデモ行進をするのです。交通は勿論遮断されます。その時、警官隊との小競り合いも起こります。その警備と称して私達弁護士が先頭について歩き、機動隊が出てくると「憲法上認められた権利だ」などと叫んで介入を一時止め、その間デモ隊が拡がったり縮んだりしながら行進を続けて国会前に集まるのです。国会前では、座り込んだり、拡がったり、シュプレヒコールをしたりします。勿論各所で、機動隊と衝突し、逮捕されたりする者もでてきます。各警察への接見差し入れ、検事との面会、勾留理由開示法廷、起訴後の公判などすることは弁護士の仕事は山盛りです。私などは、公務執行妨害裁判に出廷した弁護士から、「お前の写真は、証拠の写真の中で見たぞ」と言われることがしばしばでした。

4,尾崎弁護士は、このように採用したばかりの弁護士が、事務所の仕事はそっちのけで、要請に応じて出かけていくことを嫌がりませんでした。それに甘えて、その年の7月から9月までの間は、殆ど三井三池の争議に張り付いて、大牟田の旅館に泊まり込んで、現場や裁判所、警察署を駆け回りました。この争議は佐伯事務所が指揮を執り、彦坂弁護士・藤本正弁護士が、全国から呼び集められた成り立ての弁護士を叱咤激励していました。抗口前に貼られたピケとその前に掘られた塹壕に立っているときは、身震いしたものです。第2組合が強行就労に及び機動隊が出てきたときは、そこに油を流して火を付ける等という噂が公然と囁かれていました。激突する前に、協定が成立しました。
 もう今から思うと、幻のように大昔のこととして霞んでいます。私と第一事務所の秋山弁護士が、応援弁護士としては一番永く現地に張り付いていました。
 この原稿を頼まれて、久しぶりに振り返ってみました。いくつもの争議・闘争の現場に立ち会えたことは、弁護士にとって幸だったし、生涯の財産になったと思います。

 
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