自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ 新しい団員への伝言

都民中央法律事務所 松井 繁明


弁護士になった頃
 1965年4月に私は弁護士となり、黒田(現、東京)法律事務所に入った。25才であった。人生経験に乏しく、法律の知識も不足で、ただ不安ばかりが大きかった。
 その私が同年7月、福井放送、福井新聞労組の争議に派遣された。その年の春から東京新聞、報知新聞・印刷、大映などにマスコミ弾圧が拡大し、先輩弁護士は大多忙だったからである。中村洋二郎さん(現、新潟)の指導のもとでそれから私は、月に1週間づつほど福井市に通いつめることになった。
 福井放送・新聞労組の組合員はともにロックアウトによって社外に締め出されていた。組合指導者らには解雇通知が乱発され、福井地検はあいつぐ刑事弾圧をおこなった。まさに「なんでもあり」の争議であった。
 私がはじめて担当した刑事事件は、オルグに行った東京12CHのMさんが傷害罪で逮捕・起訴された事件である。
 福井放送社屋の裏通り(約150m)を組合のデモ隊が東から西へ行進し、西の端でMさんが、会社側のカメラマンを殴った、というのである。 なぜMさんと特定できるか。西の端で撮った最後のフィルムにMさんが大映しになっているからだという。問題の写真が法廷に提出された。私は組合員にその裏通りを10mごとに撮影してもらい、問題の写真と比べてみた。背景になる他のビルや電柱などとの関係からその写真は、本社ビルの真ん中付近でとられたことが判明した。Mさんは70mも手を伸ばして殴ったのかー。一審無罪判決が高裁で確定した。
 そのような経過もあり、私はその後多くの労働事件を担当するようになり、一般市民事件の担当は少なかった。私の弁護士人生は、その意味でいささか正統性に欠けるものとなったと思う。
 どのような事件や活動を担当するかは、かなり偶然性に左右される。ある程度の偏りが生じることも、肯定的に受け止めるべきだろう考えている。

自由法曹団と階級性のこと
 東京南部法律事務所にいたころ、同じ事務所の故市来八郎さんが自由法曹団の事務局長をしていた。市来さんに頼まれて1969年以降の司法反動について約60ページのパンフレットを一人で執筆した(当時の自由法曹団ではあまり分業が発達していなかった)。それがきっかけとなって、それまでむしろ青法協や総評弁護団(現、日本労働弁護団)で活動をしてきた私も、主に自由法曹団を活動の場とするようになった。その後、事務局長(75〜77年)、幹事長(86〜88年)、団長(07〜10年)なども経験した。
 こうした経験をつうじて私が実感するのは、日本が強固な階級国家・階級社会だということである。
 「労働者の闘争はほとんど敗北し、時たま勝利することがある」、「階級社会を支配するのは支配階級の思想である」―幾多の場面で、これらのマルクスの言葉をしみじみと実感させられたものである。
 階級性を確認することは第1に、私たちの気を楽にしてくれる。全力をあげた重要事件で敗訴したとき、あわてたり落込んだりすることはない。階級国家のたかが一機関のおこなった判定が、人類共通の価値観や正義であるはずがない。裁判官もまた、「支配階級の思想に支配」された存在にすぎないのである。
 第2に、私たちの責任を重くもする
 私たち自身が階級性の存在を確信する思想をもちつづけ、すべての活動にそれを役立たせなければならない。より多くの人びとにこの思想を拡げる役割もはたすべきだ。それによって社会を変革する以外に、真に人権や正義を実現するのは困難だからである。

未来に向けて
 私たちは今、これまでの歴史になかった重大な局面にさしかかっているように見える。
 日本国内の諸矛盾や諸課題については、団内でも多くが論じられてきたので、ここでは省く。ギリシャにはじまった財政危機は、いまやヨーロッパ全体をまきこむ財政・金融・経済危機へと拡大している。歴史で学んだ1929年の大恐慌にも匹敵するほどの局面であろう。
 北アフリカ諸国の「アラブの春」は、民衆の非武装闘争によって権力を打倒できることを証明した。それによって刺激を受けたアメリカの若者達の占拠活動。そのスローガン「99%対1%」は資本主義の根本矛盾を衝いている。
 先輩に学ぶことは大切だが、その知識や経験には歴史的限界があることも否めない。新しい団員が、みずから学び、自分の頭脳で考え、それにもとづいて行動することこそが、いま求められているといえよう。

 
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