自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ 初心と今、そして夢≠ニ期待

東京法律事務所 坂本 修


 執行部から若い世代あてに一文をと言われ、一度はお断りしたが、結局承諾をした。貴重な支部ニュースの紙面になにをどう書いたら良いのか、団支部の「若い世代」に「贈る言葉」を、私は持ち合わせているのか、大いに迷いつつ、ともかく筆を進めることにする。

1 自己紹介をかねてー「弱者としての入団」
 私は秋田県能代市で300年以上続いていた神社の八人兄弟(二人は姉)の末っ子として生まれ、中学一年の夏、敗戦を迎えた。骨の髄までの軍国少年であった私にとって、敗戦は衝撃であり、恥ずべき侵略戦争だったことをすぐには受けとめられず、日本国憲法の価値を知るには数年の歳月を要した。
 特攻機の出撃基地、フィリピンのクラークフィルド飛行場から重度の結核で次兄が最後の病院船で帰国したが、結局、死んだ。三兄も敗戦直後の食糧危機のなかで、結核を再発させ、亡くなった。若い生命は死に逆らう。二人とも悶え苦しんで死んでいった。体重が三六キロ位しかなかった母は、二人の兄の看病に、生命を燃やしつくし、その数年後、脳腫瘍を発病して亡くなった。私は、なぜこんなことがと考えつづけるなかで、「憲法が生きる日本」「そのための政治の根本的な改革」を心から「希求」するようになった。しかし、心身ともにひ弱だった私に、何ができるか、全く自信がなかった。それだけでなく、私は生まれつき「小心」であり、おまけに敗戦後、様々の事情があって人間不信、なによりも自分が嫌いになっていた。だから「革新政党の一員になって、第一線でたたかう」なんていうことはとうてい自分には無理だと思っていた。しかし、そんな自分でも弁護士ならなんとかやれるかも知れないーこれが私の「消去方式」できめた「選択」であった。そして、その延長線上の結論として、私は自由法曹団に入団したのである。率直に言えば、「弱者のための弁護士」になろうというのではなく、「弱者だから弁護士になろう」としたのが私の入団の動機であり、初心であった。

2 「弱者」でもやれることはある
 「心弱き者」として、入団して52年。様々のたたかいに直面して、私はしょっちゅう怖れていた。三光自動車労働組合丸山良夫委員長の暗殺事件のときである。彼は5歳の愛児の面前で右翼暴力団員に襲われ、暗殺された。犯人を庇っているとしか思えない警察の対応に抗して、私たちは丸山事件対策委員会をつくり、真犯人の追及に努力し、ついに名指しで告訴・告発した。告訴・告発状は私が起案した。これに対し、護国団はデッチ上げだと集団で抗議行動を起こした。「弁護団」を襲うという情報があちこちから入ってきた。告訴・告発代理人筆頭の松本善明団員の身を心配して、岩崎ちひろさんは三越まで「防弾チョッキ」を買いに行ったが、もちろん売ってはいなかった。でも、私には彼女を笑えなかった。坂本福子は、何度か夜中に入口に人が立っていると私を起こした。実際には、彼女の思い違いだったと思う。しかし、私も怖れは共有しており、この時期、約1年間、枕元にピッケルを置いて寝ていた。
 松本さんは全く平然としていた。「怖くはないのか」と私がたずねると、「殺されるのはいやだが、卑劣なテロの犯人を追及してそうなったというのなら、それは生き抜いたということだよ」と笑っていた。私はつくづく自分は怖がりだと思った。こうした私の「遺伝子」は頑固であり、こうした弱点は、78歳になった今も残っている。しかし、悲観はしていない。「心弱き者」であっても、人間の権利を護るためにやれることはある、自分にでもできることをできる限りやれば、それでいいと思って、それ以上、悩まないことにしているのである。
 もし、「心弱い者でもできることはなにか」と問われたら、「逃げないことだ」と私は答えたい。怖れは消せなくとも、場合によっては足は震えても、逃げないことはできる、攻撃を受けている人々とともに、その現場にとどまることはできる。それなら、自分でもなんとかできることだと思い、何度かの「現場」ではそうしてきたつもりである。
 丸山事件での松本さんの行動、主婦と生活社争議で4階に座りこんだ争議団を不退去罪で全員を逮捕しようした神田警察署長の脅迫に屈せず、ついに労働者を護り抜いた故小島成一元団長の活動などとともに、あるいはそれ以上に、私を励ましてくれたのは、数多くの「普通の人」のたたかいー生き様―である。
 私は幸いなことに、メーデー事件から有楽町ビラ配り事件など一連の弾圧事件、東信裁判、日立思想弾圧裁判から、芝信用金庫集団暴力事件、同女性昇格差別事件など、多くの労働事件に弁護団の一人として参加することができた。これらの事件での原告や被告は、人によって活動歴の違いは様々にあっても、まとめていえば「普通の人々」である。だが、これらの人々、そして、そのたたかいを支えた人々は、権力の弾圧や資本の暴力、非人間的差別に対して、決して頭を下げなかった。多くの場合、数年、ときには十数年にわたるたたかいを続け、勝利への道を切り拓いたのである。
 たたかいの基礎的な場≠ニなる草の根からのたたかいの主人公は「普通の人々」である。この人々の生き様、その尊敬に価する人生に、私は励まされて生きてきた。彼や彼女に出来ることなら、同じように、「普通の人」の一人である私にもできるはずだ、少なくともともに寄りそってたたかうことはできるにちがいないーその思いが私を支えた。だから、私はなんとかたたかうことはできたのだと思っているのである。
 私が「普通の人」の生き様から得た物はさらにある。私は、いつのまにか、入団までの当時の「人間嫌い」ではなくなり、人を信頼し、ものごとを明るく見れるようになった。その理由としては、闘いのなかで、「変革」の思想と理論をもてるようになったことも大きいが、なんといっても「現場」が私を変えてくれたのだと思っている。

3 選挙制度「改革」をめぐるせめぎ合い≠ノ寄せる思い
 入団52年を経て、私の初心≠ヘどうなったのであろうか。かつて、団創立55周年記念シンポジウム(1976年)のパネリストの一人になったとき、コーディネーターの松井繁明団員から、「坂本さんは、この悪法はなんとしても阻止しなければならない。情勢は重大だが、たたかえば勝利できると語ってきている。しかし、悪法がゾロゾロ成立している。それでも、まだ同じことを言い続けて飽きませんか?」という趣旨の鋭い「反対尋問」を受けたことがある。松井さんからこんな質問をうけるとは思ってもいなかったし、それ以上に、満場の爆笑を聞いて、私は絶句した。でも、その後も、私の悪法反対闘争についての初心も、基本的な姿勢も変わらなかった。そして、今、松井さんを本部長とする比例定数削減阻止闘争本部に結集してたたかっている。「もうお年なのに、無理をしなくても」と言われることは少なくない。無理はしていないが、なんとしても勝利を、そのためにできるだけのことをという思いは消えない。なぜなのだろうか。そして、このたたかいへの結集について「若い世代」になにをどう期待しているのだろうか。
 70歳になったときに、長い間の主治医に定期検査で、「あなたは、長い間、インスリン注射をしながら良く血糖値をコントロールし、見事に天寿を全うされました。もうこれからは、なにがあっても、主治医を恨まないで下さい」と笑いながらではあるが、明るく「宣告」された。もともと非力な身だから、的を絞って生きてきていた。しかし、ここまで言われて、さらに的を絞りこむことにした。「今できることを、できる日まで」と考え、「憲法を語り、憲法を生かす」ことを主なテーマに、招かれれば人数の多少を問わずに、各地を話し歩いてきたのである。
 そうしているうちに、一昨年5月頃から、政権獲得の勢いを見せてきた民主党が本気で衆院比例定数80削減を公約にし、政治日程にのせるという重大な事態が生じた。しかも、3.11大災害後、自民党も定数削減に動き出し、さらに緊迫した状況になってきている(直近の情勢、とくに自民党の動きについては『団通信』(7月1日号)小論参照)。
 定数削減策動には、共著ブックレット『国会議員定数削減と私たちの選択』(〈パートT〉)で述べたように構造的弱点がある。しかし、3.11の大災害を「利用」し、支配勢力の懸案を一気に解決しようとする策動は、あなどりがたいものがある。彼らが「選挙制度「改革」には当分手をつけないだろう」とみることはできない。彼らの構造的弱点で、策動が自動停止すると思って、座視しているわけにはいかないのである。民主党や自民党のマスコミで報じられるあれこれの動きに「一喜一憂」していることはない。大事なのは、だからこそ、財界からのつよい要求を受けて、彼らは手を変え、品を変えて策動を進めてくるとみて、私たちの運動を急速につよめることである。それこそが勝利のための鉄則なのではないだろうか。
 支配勢力の選挙制度「改革」策動を許したときの災い≠ヘ、あれこれの悪法の災い≠フ比ではない。それは、この国の政治制度を根本から変える。言うならば、壊憲≠フ策動であり、被害は長く、すべての国民に及ぶに違いない。そんな事態になることは、初心に照らして到底我慢できない。しかも、二大政党が主軸となって、その他の「野党」の一部をもまきこんで、公選法一部「改正」法案が上程されるとなったら、それを阻止することは、きわめて困難なことも目に見えている。
 そうである以上、現実に勝利ーとりあえずは公選法改悪阻止ーをつかみとるには、二大政党らが談合・合意することが出来ない程の反対世論を、間に合うテンポでつくりあげることに全力をあげなければならないと私は考える。もちろん、簡単なことではない。九条の会を中心とする改憲反対運動やTPP反対、消費税アップ反対、「原発からの撤退」に比べて、「定数削減反対、民意が反映する選挙制度を」という要求を結集し、世論を広げるには様々の困難がある。これを乗りこえて行くために、宣伝においても、運動においてもなにが求められるかについて、討論したいことがいくつもあるが、ここではふれるゆとりがない。この小文で言いたいのは、困難をならべ立てて嘆いているのではなく、「自力」で突破することを決意し、行動に移り、いままでの到達点から大きく前進するために、なぜ団と団員に、なにが求められているかであり、そのことについて「若い世代」に、私はなにを期待するかである。

4 「されど団」ー責務を果たす力はある
 策動に構造的弱点があり、勝利の条件はたしかにあっても、「自動的勝利」はけっしてあり得ない。マスコミの強力な支配のもとでは、真実は一人では歩いて来ない。大義は簡単に民衆的確信≠ノはならない。大義を掲げ、国民に訴え、対話を広げつづけることによって、力づよい世論をつくりあげることが勝利を分かつカギになる。運動は不均衡に発展するのであり、事柄の重大性に気づいた者が、「まず行動に移る」ことが大事なのだと思う。
 私は、「まず行動に移る者」の一人として、団と団員の役割が重要だとつよく思っている。もちろん策動を阻止する力を持った世論をつくりあげるには、憲法会議をはじめ、6・9集会を組織した諸団体とその活動家などの力の結集が必要である。自由法曹団と団員は、その一部である。正しく言えば、その一部に過ぎない。「団こそは……」という思いこみは、私にはない。それぞれの力を尊重し、広く国民と団結してこその勝利である。そのことを大事な前提とするが、「されど団なのだ」と考えている。思い上がりではなく、歴史を分かつこのせめぎ合い≠ノついての団の責務の重さを直視してのことである。
 「知りて行なはざるは知らざるに等しい」という言葉がある。「力」を持っている者が、力を出し惜しみしたら、責務を果たさないことになる。団は93年〜94年の小選挙区・政治「改革」反対闘争で、時々刻々に何通りもの的確な意見書の発表、いくつもの著作、全国各地での数多くの学習会講師活動、闘争組織の結成や運営への参加、国会を揺るがした要請行動などに全団的にとりくみ、大きな成果をあげた。その理論的、実践的経験はいまも財産として保有されている。それだけではない。その後も、悪法反対闘争、さらには要求実現のための立法闘争にとりくみ、新たな経験をつんでいる。団員数からいっても九三年の1442人から2016人に団員数を増やしている。この10年で約461名という他の民主団体からはうらやましがられる程の「若い世代」の参加がある。これら新旧の団員、そして団員及び事務局労働者でつくられている権利闘争の拠点≠ニしての法律事務所は、質量ともに強化されている。こうした団関係事務所と団員および事務局労働者は、人権を守るための諸事件、諸活動を通じて、17年前にくらべてはるかに広く、つよい「人間の絆」を国民との間に結びあっている。
 かつての小選挙区制・「政治改悪」反対闘争の時、私は阻止対策本部長であったが、その時の団のたたかいのその当時の「若い世代」は、主力として第一線でたたかい抜いている。より重大な情勢に直面している今、「若い世代」の力を再びと私はつよく願い、かつそうなることを心から期待しているのである。
 新旧の世代が結び合い、前進した力を、いま、必要とされる世論形成のために、可能な限り投入することができたら、それは勝利のために大きな役割を果たすことになると私は確信する。この確信は、けっして「思いこみ」ではない。一昨年からの選挙制度「改悪」反対にとりくんだ団の活動は、そして、五月集会、特別報告集での神保大地団員、諸富健団員の報告、さらには「団通信」での一連の「若い世代」の活動報告は、そのことを証明しているといえよう。

5 夢≠現実のものにー「若い世代」に期待をこめて
 私は前掲のブックレットで「『正当な選挙』実現の夢≠語ろう」と書いた(同書25頁〜26頁)。そして、「それは、実現し得ない『白昼夢』や『遠いいづれかの日の理想』として語っているのではありません」(中略)「行動して実現していく課題として、憲法の大義にかなう一票の生きる選挙と、それによる新しい日本の実現を語り合いたいと思っています。必ず、自力で実現する夢≠ニして語り合って、立ち上がり、前進したいと心から思うわけです」と思いを結んだ。
 ここでの「新しい日本」とは、みんなが平和で、人間らしく働き、人間らしく生きられる日本、原発におびやかされることのない日本ということである、別の言い方をすれば、憲法が護られ、憲法がすべての人々に生きる日本ということである。選挙制度をめぐるせめぎ合いに勝利することは、今の生命とくらし、民主主義と人権を守るために不可欠のことであるだけではなく、私たちの“夢”である新しい日本その扉を開くカギを手中にするということである。
 自由法曹団は、あらゆる悪法に反対し、「人権が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と権利擁護のためにたたかう」ことを目的(規約)に掲げている民衆の弁護団≠ナある。団と団員は一つ一つの裁判をはじめ、あらゆる人権侵害とねばり強くたたかうが、それだけではない。すべての悪法に反対し、みんなが平和で人間らしく生きる日本の実現を目指して行動する集団である。一人ひとりの団員にはそれぞれに異なる人生がある。しかし、このような目的のために生きることを喜びとし、誇りとすることは世代を超えた共通の思いだと私は思うのである。
 思いをともにしているに違いない二〇代、三〇代「若い世代」団員が、新たな創意と新鮮な力でたたかいを発展させるであろうことを私は信じ、そのことに大きな期待を寄せて、筆をおくことにする。

 
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