自由法曹団 東京支部
 
 
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団支部の活動紹介

若手弁護士へのメッセージ イデオロギー闘争について

東京法律事務所 上条 貞夫


 弁護士になって初めて担当した不当解雇事件が、手痛い敗訴。事件は仮処分と本訴が、それぞれ最高裁まで、一敗五連勝となったが復職は実現できなかった。なぜ最初の判決で勝てなかったのか(最初に勝訴していたら、いつか復職出来たかもしれない)。その口惜しさと恥ずかしさ(力不足。一人では何も出来ない)を、いつまでも私は忘れなかった。
 実はそのことが、その後何十年にわたって心の支えとなった。
 いま振り返ってみると、団の素晴らしさは、年齢、性別、経験の違いを超えて、裁判でも運動でも、ここぞというとき、横一線に並んで攻め上げること。横にパスを繋いで、相手のタックルをかわして全員が攻めに回るラグビーを連想する。弁護団に加わって、自分の担当パートを掘り下げながら討議の度に元気が湧く。その繰返しで50余年が過ぎた。
 その中で、旭川学力テスト事件の最高裁では、私の担当パート(公務執行妨害罪の成否。大審院の古い判例が残っていて、同じ学テ事件で福岡高裁と札幌高裁が正反対の結論を出した)について、吉川経夫教授から原理論の懇切な手ほどきを受けて口頭弁論に参加した。
 判決後、弁論の延長戦のつもりで『法学志林』に6年がかり5回連載の論稿を書いた。100年ほど遡ってフランスとドイツの判例理論の形成過程と意味を、忙しい仕事の合間を縫って図書館を駆け巡って調査研究するスリルは格別で、私の元気の源泉となった。
 こういう体験から、国家機密法、政党法、小選挙区制、盗聴法など、「外国にも先例があるから」という悪法の企み(とくに中曽根首相の「西ドイツ方式」礼賛の言辞)に対抗して、ナチス以来の西ドイツの反動法制の実体とイデオロギーを、テーマごとに分析批判して『前衛』『科学と思想』『法と民主主義』誌などに公表することが、仕事の合間の痛快な息抜きになった。こうして自分も団のイデオロギー闘争に参加する爽快感があった。
 そうこうするうちに、団員弁護士で長野二区選出の日本共産党衆議院議員・木島日出夫さんから話があって、1993年5月、衆議院の政治改革特別委員会の公述人となった。団本部の対策委員会の討議を基に、私なりに調べ上げたドイツの選挙法制の歴史と理論を素材に、小選挙区制導入に反対する意見を述べた。
 そうは言っても、私が後から弁護団に入って、その結果が逆転敗訴、あるいは一審敗訴よりもっと悪い敗訴判決となった時の口惜しさ、切なさ(自分が役に立たなかった)は、どうしようもない。私は何回も経験した。しかし、転んでもただでは起きないのが団の伝統だから、その誤判を乗り超える論理を構築して巻き返す。最近では、不法な「派遣切り」を手放しで容認した東京高裁判決を巻き返す論理を追い求めた。図書館に通って、実はドイツ派遣法の出来る前の一時期、派遣が自由とされた中で、だからこそ派遣労働者救済の法理(偽装派遣論)を構築した西ドイツ最上級審の優れた一連の判例があることを知った(ドイツでは、政治事件の判例は酷いが、労働事件の判例には優れたものがある)。そこで、ここは日本にも共通して妥当する筈ではないかと、ポイントを整理して『労働法律旬報』に寄稿した(1685号。2008年12月)。これを、より実践的に組み直して『季刊・労働者の権利』に寄稿した(284号。2010年4月)。
 疲れたとき断片的に思い出すのは、松川闘争などで団の優れた先輩たちの確立した、たたかう原理論(事実、あくまでも事実を。勤労国民とともに。その根底を貫く史的唯物論)。
 団は、私にとって、心の大地なのだと改めて思う。
 (上記引用の各論稿は、『選挙法制と政党法−ドイツにおける歴史的教訓』1992年新日本出版社刊、『司法と人権』2003年法律文化社刊に、分かれて収録。この二冊は、最高裁図書館と東京三弁護士会図書館に寄贈した。昨年夏、千代田区労協主催の恒例「千代田ピース・フェスタ」に、私も合唱団「ソレイユ」で前座の合唱に参加したとき、主催者の一人から「先生、この本(『選挙法制と政党法』)、このあいだ神田の古本屋に500円で出ていた。500円ってことはないだろう、と思って買った」とサインを求められた。こういう出会いもまた楽しい。)

 
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