自由法曹団 東京支部
 
 
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若手弁護士へのメッセージ 私の想ったこと

関原 勇


一人一人に顔がある
 実務は1951年、合同事務所に在籍してからだ。事務所に依頼する地方の事件もあり、かねてから望んでいたので、都内・関東近県と掛け持ちした。地方だと、事務所に来てもらうより、現場での相談ないしは見聞ができ、宿泊も関係者宅になる。「人」の理解は、生活を知れと「現場主義」を第一にした。
 警察官が亡くなり、怪我をしたある県の集団暴行事件などでは、反対尋問の相手は警察官。これらで「捜査過程」の実態に触れ、組織証人特有の「誇張」「ねじ曲げ」「証言・予習訓練」に挑んだ。
 一方、本職が保健婦の区議さんの力を借り、法律(生活)相談を都内で。彼女からは話を引き出すコツを伝授され、人間同士、意思の伝達は「言葉」だが、五感のうちから動員し得るものを活用した。刑事事件と民事事件に登場する方々、十人十色であった。

「論より証拠」(いろはかるた江戸風)
 前項の刑事事件では、部分無罪が出たものの、知り得た事実と、判決との間に、言いしれぬ「違和感」があった。1955年から、謀略事件、冤罪事件弁護団を手伝った。前者は、駐在所爆破事件であったが、控訴審で著名弁護人が「内部爆破説」を主張。鑑定の結果無罪となった。警官証言に頼り過ぎ、「物証」を無視する裁判所の態度にあった。後者は、第一次上告審で「死刑」を含む原判決が、破棄差し戻しされ、第三次上告審までゆき、事件発生後17年ぶりで無罪が確定した。物証無視が中心だが、それ以前に、裁判所の態度が問題ではなかろうか。『史談裁判』の著者・森長英三郎は「井の中の蛙がいかに経験を積んだところで真実にそう事実認定はできない。豊かな人生経験による人生の機微を洞察しうる眼を伴わなければならないのである」(ジュリスト412号p.31)。

話上手は聞き下手
 「このはしをわたるべからず」の高札を無視して、一休さんが橋の真ん中を渡るというのが頓知才覚の見本と、子どものころ聞かされた。率直に言えば「言葉遊び」で、批判的に言えば、相手の錯覚あるいは誤解しそうな問いである。「一を聞いて十を知る」とは、頓知筋の表現で、「聡明で、一部分を聞いて他の万事を理解すること」(広辞苑)いわゆる「頭の回転」が早い秀才をいう。
 法曹には、この手の人が多いのではあるまいか。一歩譲っていえば、前段のような「洞察力」を持ってもらえば、これに超したことはない。前記「タイトル」を探しながら、有能だという取調官は、「頭ごなし」(相手の言い分をよく聞かず、最初から一方的に物を言うこと〜広辞苑)と気づいた。

急(せ)急いては事を仕損ずる
 裁判員裁判・公判が始まり一年以上経った。「厳罰化」傾向という。検察官の「映像」駆使のパフォーマンスか、被害者参加制度の後押しが「庶民」正義感を昂揚させたか、深層心理の「お上の仕事を手伝う義務感」からか? この社会は「罪を 悪(にく )悪んで人をにく悪(にく )悪まず」という寛容さを顧みなくなったようだ。
 最近、死刑判決まで裁判員を巻き込む事態となった。死刑・無期懲役をはじめとする厳罰化は、犯罪の抑止力にならない。法廷で、被告人の言い分をよく聞き、事件の背景まで視野に入れ、彼らにたいし「公平・公正」な裁判受けたという実体験を与えてこそ、再犯防止につながると確信する。裁判員裁判から、量刑をはずすか、審理期間限定の裁判員裁判だけではなく、従来裁判との選択制を導入すべきではなかろうか。要点主義、効率主義が裁判員裁判をむしばんでゆく危険を感じている。

 
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