自由法曹団 東京支部
 
 
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若手弁護士へのメッセージ 女性弁護士として50年

渋谷共同法律事務所 坂本 福子


 私が弁護士になったのは丁度60年安保の年。当時の修習生は1期300人、12期はこのうち女性6名で一クラス1名だった。何をしても「だから女性は・・・」という感じでイヤだった。以来50年、女性の権利は大きく進展してきていると思う。
 丁度この60年代から女性達が職場における差別をなくし自らの人権確立のため裁判まで起こして闘う(当時はまさに闘い)という時期であった。66年、日本で最初の裁判といわれる結婚退職制に対する判決が勝ち取られた。この判決は大きな波紋を呼び裁判に起ち上がる女性達が出てきた。
 判決は憲法の「平等は基本的人権」という視点から挑んでいる。即ち憲法13条の個人の幸福追求権、そして14条の平等の権利、その上にたって基本的人権は侵すことができないものとし、結婚の自由は24条に、働く権利は27条に規定されており、「もし結婚しようと思えば職場を去らねばならない」「働き続けようと思えば結婚を諦めざるをえない」結婚退職制はこの基本的人権の二つの中の一つを奪うことになるとしてこのような制度は就業規則、労働協約、労使協定、労働契約等のいかなる締約も許されず民法2条(当時1条の2)同90条に反し違法としてのである。
 私が最初に担当したのは東急機関工業の「女子30歳定年制」のケ−スであった。このケ−スは67年春闘賃上げと引き替えに女性30歳以上の解雇であった。組合大会が開かれたが、女性は全員反対し何人かの男性も強く反対したが多数決で提案が受け入れられた。
 元原告の志賀さんら8名の女性がこの協定に該当した。
 8名の女性はこれまで会社に勤務したベテラン社員でありやめることには全員不同意であったが、家庭の事情等で結局志賀さん1人が提訴した。
 この時私は、女性に対する家庭の重圧を改めて実感した。志賀さんには子供も無く、夫は公務員で二人の生活は何とか確保できる状況、そして夫は彼女の提訴に極めて協力的であった。以来私は家庭の平等なくして職場の平等がないことを痛感し、平等は社会の中で相互に関わっていること、平等権確立への運動はあらゆる観点から取り組む必要性を身を以て感じた。ILOでも1981年、「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇」に関する」条約(156号)を採択している(日本も1995年批准)。同時に忘れらえないのは、志賀さんが事務所にみえたとき彼女は前年判決された住友セメントの判決を握り占め「先生、女子30歳、男55歳という定年制は憲法違反ではないですか?」と言われたことは私の脳裏に刻み込まれた。前年の結婚退職正反対の運動のが彼女を裁判を決意させる道に導いたのである。
 こうした差別は単に女に生まれたというだけでの差別であり、差別は絶対に許せないというのが、30歳で職場をさらねばならないという女性達の共通した思いであり、提訴はしなかったが志賀さんの裁判運動を絶えず支えてくれた。この支えは志賀さんをどんなに励ましたがわからない。当時民放では女性の30歳、25歳定年がざらであり民放労連あげて、その撤回運動が組まれていた。志賀さんはこれうした運動とも呼応して運動を拡げた。しかし、志賀さんも私も裁判をやりながら、羨ましかったのは民放労連が組合あげての運動に取り組んでいたことである。東急機関の場合は、組合が協定をを締結したため、志賀さんが1人放り出された状況からの立ち上がりであり、しかも組合の上部組織は当時闘う総評加盟の組合といわれた全金で、多くの組合に支援のお願いにいったが、同じ組織に加盟しているということで、同情はしてくれたもの支援には至らなかった。しかし、地域等の労働者や女性達の支援の中でその運動を拡げていったのである。今だったら、30歳定年制なんて裁判で負けるはずがないと一笑に附されそうな事件といえようが、定年差別を争った最初の事件だけに弁護士は法律構成にも苦労した。勿論運動でも多くの苦労があった。しかし、こうした彼女たちの苦労を乗り越えて権利は獲得され、次世代につなげてきたのだと思う。その後こうした定年差別はなくなったものの裁判闘争に起ち上がったのが賃金差別問題である。
 そして、我が国最初の賃金差別裁判という秋田相互銀行のAコ−ス、Bコ−スと言うように別れ、26歳になるとこのコースに賃金差別が現れ、低賃金にとどまるBコ−スに女性を、高賃金になっていくAコ−スに男性をというような男女別賃金とわかる賃金体系であったその後今日に至る複雑な職務職能給、採用時からのコ−ス別雇用等への複雑な差別賃金への闘いへと、企業のやり方に対応してそれなりに理論構成は違ってくる。
 私は、女性達の自分の権利確立というより、この権利確立を次へつなげたいという思いから苦しい裁判まで起こして頑張ってきていることをこれまでの差別裁判を通じて実感し、そして多くの人達から学ばせてもらった。同時に裁判も大きくこの運動に貢献すること。そして彼女たちが苦労しながら、弁護士費用を支払ってくれることに対しては、共に運動する中で裁判この事件に勝つためにどうするかの理論構成は、弁護士としての大きな任務であることを強く感ずる。そのためには、様々な学者の理論を聞き、また意見書を書いて頂いた。当初の30歳定年制については松岡先生に、そして芝信用金庫の賃金差別のように資格と賃金が結びついた賃金体系では、昇格を伴わねば賃金は上がらず、昇格の理論付けに悩み、西谷先生にお会いしたときに「毎年昇格しないのは企業が昇格させない」という作為論にヒントを得、昇格しないことは不作為ではないのだ。この主張を展開し、また西谷の先生から意見書を頂いた。判決はこの理論を用いている。その他の事件も多くの学者の理論を患わし幾つかの意見書も書いて頂いている。
 未だに存在する女性差別、人間の平等に生きる社会にするために法理論の構成はそれなりにぶつかっていかねばならない。
 そして更に判例だけでなく立法へと結びつけることの重要性。判例は動くが法律となればそれはそれなりに運用できる。均等法の要求もこうした女性達の身を以て経験した中から生まれたものである。均等法の成立時は国民の要求とは遠かったが、改正されて行くのは私達の要求実現の一つの進展である。国際的にも国連やILOで平等への観点が問われているとき、これらを利用しながら人間が生きる社会の平等への進展が進められるのではないだろうか。今後の若い世代の方達の社会発展のために是非期待したい。

 
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