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まず一点目は、高校時代に出会った父の知人たちが起こしていた行政訴訟です。
それは、長野県大町市にある湖、青木湖の湖水利用を認めた取水等許可処分の取消訴訟でした。冬になると高瀬川の水量が減るため水力発電等に用いる水量が確保できないことから、国は、地元に工場を有する企業に対し、青木湖の湖水を発電等に用いることを認める許可処分を出していました。
私は毎年家族で青木湖を訪れていたので、取水されたことにより冬期、湖底が無残に露出した光景を幼い時から目の当たりにすることがあり、青木湖の生態環境が深刻な影響を受けていることも残念で仕方ありませんでした。取消訴訟自体は、地裁も高裁も敗れてしまいましたが、環境汚染が問題になる中、環境問題への取り組み方にこのようなやり方もあるのかと感じたことが法曹との出会いでした。 |
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二点目は、大学時代に父から聞いた父自身の訴訟経験でした。父からヤクザ相手の土地明渡訴訟を本人訴訟で行った経験や、訴訟や交渉を通じて苦労した点、大変だった点を聞き、裁判自体がより身近なものであったことを感じました。
普通の市民が突如法的なトラブルに巻き込まれ、何をどうしたらよいのかわからないとき、その力になれるような人になりたい、困ったことがある人の手助けを広く行えたらよいと漠然と思ったことが弁護士を目指したきっかけといえます。 |
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三点目は、横田基地です。
多摩地域で育つと上空に米軍機が飛び交うことは当たり前のことと感じてしまいます。実家はちょうど米軍機の飛行経路の下にあり、昼夜関係なく米軍機は飛び交い、ときに低空で飛行するため、その騒音に悩まされることもあります。これだけ米軍機が飛び交うと、それが近所に墜落する夢まで見てしまう始末です。
この飛び交う米軍機を見ていると、なぜこれだけ米軍機が日本の上空を自由に飛ぶのか、なぜ米軍基地が横田ひいては日本国内にあるのか、と怒りも含んだ疑問が頭をよぎることも多くありました。大学へ入学したころ、横田基地騒音公害訴訟が行われていることを知りました。この訴訟に関われるようになりたい、関わることで米軍基地を日本から立ち退かせたい、そう思ったことも弁護士を目指したきっかけであり、平和のために何かやりたいと思ったきっかけであるといえます。 |