自由法曹団 東京支部
 
 
トップページ 各事務所紹介

団員の活動紹介

各事務所紹介

東京合同法律事務所の創設とその時代


東京合同法律事務所 泉澤 章

 東京合同法律事務所は,日本の敗戦からまだ6年も経っていない1951年(昭和26年)1月,港区琴平町(今の虎ノ門1丁目あたり)にあった木造トタン屋根造りの元町工場で産声をあげました。
 東京合同法律事務所の設立は,“新生”自由法曹団と切っても切り離せません。戦前の弾圧で一度は解散し,日本の敗戦と民主化によって,やっと息を吹き返した自由法曹団でしたが,冷戦の激化とアメリカ占領軍による占領政策の転換によって,再び弾圧の危機が迫ります。そのような困難な時代を迎える中,自由法曹団に集っていた中心的な弁護士が,それまで自由法曹団が使っていた建物に,新たに法律事務所の看板を立てました。これが東京合同法律事務所の始まりとなりました。その後,日本中に続々と設立された,いわゆる民主的共同事務所の,まさに先駆けといっていい事務所の誕生でした。
 事務所の設立メンバーは,戦前からの弁護士で,ともに天皇制政府の弾圧によって逮捕,投獄された経験のある岡林辰雄,青柳盛雄,小澤茂らと,戦後新憲法の下で弁護士登録した大塚一男(1949年登録・1期),上田誠吉(1950年登録・2期),平林正三(同),大蔵敏彦(同)らの7人でした。
 事務所設立当時,巷にはまだ敗戦直後の雰囲気が色濃く残っており,多くの人びとは貧困にあえいでいました。労働運動は高揚していましたが,アメリカ占領軍によって共産党員やその同調者とみられた者が職場から追放される「レッドパージ」が全国で吹き荒れ,労働争議は力で弾圧される,やがて朝鮮戦争の勃発で再軍備がおこなわれる,そういう時代でした。
 そのような激動の時代にあって,東京合同法律事務所設立当時の弁護士たちが主に担ったのが,1949年に発生した松川事件をはじめ,米軍占領期に労働組合や民主的活動家を標的にして発生した数多くの弾圧事件でした。当時事務所の弁護士は,東京だけではなく,関東甲信越の弾圧事件を一手に引き受け,裁判があると長期間事務所に帰ってこないことも,珍しくはなかったといいます。
 後に多くの団員に引き継がれる「大衆的裁判闘争」を生み出した松川事件のたたかいは,1951年当時,まだ一審判決が言い渡された直後で,死刑5名を含む全員が有罪という時期でした。民主化もまだ芽生えの時代であり,世相も,これらの弾圧事件は共産党や労組がやったものだろうという風潮が強く,弁護士たちは極めて困難な闘いを強いられていました。
 東京合同法律事務所の誕生は,まさにこのような荒海の時代へ向けての出航だったのです。

 
自由法曹団東京支部 〒112-0014 東京都文京区関口一丁目8-6 メゾン文京関口U202号 TEL:03-5227-8255 FAX:03-5227-8257