自由法曹団 東京支部
 
 
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事件活動―労働問題

首都圏建設アスベスト訴訟


城北法律事務所 松田 耕平

 首都圏建設アスベスト訴訟とは、首都圏の建設労働組合に所属する石綿関連疾患に罹患した患者・遺族が、「謝れ、償え、なくせアスベスト被害」のスローガンの下に大同団結し、2008年5月16日に東京地裁、同年6月30日に横浜地裁に提訴した訴訟。原告数(患者単位)は東京地裁が172名、横浜地裁が40名、被告は国と建材メーカー(東京地裁45社、横浜地裁46社)。
 提訴時に既に半数近くの原告が亡くなっており、しかも、提訴後1年足らずの間に、東京原告で16名、横浜原告で8名が亡くなっている。このような、他に類例を見出すことが出来ない極めて深刻な状況を踏まえて、裁判所に対し、2年以内の結審を目指し、そのために主張・争点整理と同時並行して証拠調べを行うことを強く求めている。被告らは、争点整理がなされない段階で証拠調べに入ることに強く反対しているが、両裁判所とも、原告らの方針を一定程度受け入れて審理を進めている。
 東京地裁では、昨年11月の期日から今年3月の期日まで計3回の口頭弁論期日において、原告本人尋問により、大工・電工・保温工等各職種の建設従事者が建設現場で石綿粉じんに曝露してきた実態、石綿粉じん防止対策がまったく実施されていなかった実態等をリアルに立証することに注力している。
 法廷外においては、法廷闘争で明らかにされるアスベスト被害の深刻な実態と構造的にその原因を作り出してきた国と建材メーカーの法的責任について、広範な国民に知らせる活動をこれまで以上に強める必要がある。この活動によって被害者救済と被害の根絶を求める世論を構築することは、勝訴判決を勝ち取るためにも、政治解決を促す上でも決定的に重要である。その意味では、現在取り組んでいる「200万署名」を可能な限り全国化し、かつ早期にやり抜くことが鍵になる。
 目的を実現させるための取り組みは着実に前進してきている。この法廷内外の活動を推進してきたことに確信をもち、これからの1年を「勝負を決する年」と位置づけ、法廷内外の闘いを車の両輪として展開することが必要である。原告団・弁護団・建設労働組合が、より一層団結を強め、総力を挙げて取り組めば、両地裁で勝訴判決を獲得できるという確信を一層強めることができるはずである。また、今年5月には大阪泉南アスベスト訴訟の判決が出るが、この判決は当訴訟にも大きな影響を与えるものと思われる。
 最後に、私たち弁護団は、「生命あるうちに解決を!」という患者原告の切実な要求を改めて真正面から受けとめ、これからの1年を「勝負の1年」と位置づけ、弁護団に求められる全ての活動に全力を投入して、被告を圧倒し、また裁判所の理解を勝ち取る訴訟活動を展開するために奮闘する決意である。そして、法廷内外での闘いが車の両輪になって展開されれば、必ずや勝訴判決を早期に勝ち取り、勝訴判決と世論を武器に全面解決できる展望は十分あると確信している。

以上


2009.5.14池袋派遣村の取組み


城北法律事務所   平松 真二郎

 2009年5月14日,東京都豊島区の中池袋公園に派遣村が開設された。中池袋公園は,豊島区役所の目の前である。名誉村長は元豊島区長加藤一敏さん。当日の責任者である事務局長は大山勇一団員である。

 当日は,豊島区議らによる生活相談,民医連,生活と健康を守る会などによる健康・医療相談,JMIUなど労働組合の相談員による労働相談,弁護士による法律相談,社労士による年金相談が準備された。
 50名を超える方の相談に対応したが,相談内容別にみると,生活保護関連の相談が33名にのぼった。そのほか,借金,労災,失業,ぜんそくなどの健康不安,年金などの相談であった。生活保護関連の相談のうち,22名の方については当日中に豊島福祉事務所で生活保護申請を行っている。

 2009年1月の日比谷公園での年越し派遣村の活動に比べるとささやかな活動であったが,実際に街頭に出ての相談会を行ってみると,相談に訪れる人の課題は,生活の再建であることはいうまでもない。そして,それに対応する行政の支援体制は,生活保護しかないことをあらためて感じさせられる結果となった。
 小泉構造改革の下,派遣等の非正規雇用が急速に拡大してきたが,不安定な非正規雇用という立場では,雇用が失われること,それは生活保障が失われることにつながる。職を失うことは,次の職を確保するまでの間の生活費に窮する状況となるのである。
 非正規雇用に頼ってきた若年層が,従来の,失業給付を受けながらハローワーク等による職業紹介で生活再建を図ることなどおぼつかないのである。もちろん,ハローワークなどでも職業訓練等によって職業技術の習得なども必要ではあろうが,喫緊の課題は,生活の再建,それも住居の確保なのである。

 5・14池袋派遣村の取り組みは,年越し派遣村の成功に触発された菊池紘団員から池袋でも何らかの取り組みをするべきという一言から始まった。その一言にこたえて動き始めた城北法律事務所の小沢年樹団員を中心として豊島を地盤に活動している東京土建豊島支部,豊島民主商工会,新婦人の会,農民連,日本国民救援会豊島支部などさまざま団体に参加の呼びかけがなされ,「5・14派遣村実行委員会」が組織された。同委員会の事務局長が大山勇一団員である。
 例えば,東京土建豊島支部からポケットティッシュ10000個の提供を受け,4月30日から当日まで池袋駅をはじめ豊島区内の各駅でのべ15回にわたって宣伝活動を行った。池袋西口などでは20分足らずで,1000個のティッシュが配りきるなど,諸団体から多くの人が事前の宣伝にも関わっていただいた。
 その結果,当日参集したボランティアスタッフは30を超える団体や個人あわせて150名以上にのぼっている。城北法律事務所からも,10数名の弁護士,事務局がスタッフとして参加した。
 また,農民連から提供されたお米を新婦人の会の皆さんが「おにぎり」にして用意するなど,今,目の前で困っている人を何とか助けたいという思いを多くの方々と共有できたと感じている。
 さらに,実行委員会では,名誉村長を務めていただいた元豊島区長加藤一敏さんあるいは豊島区職労を通じて豊島区役所にも事前に申し入れを行ない,当日は豊島区にも生活保護申請の対応窓口を増設するなどの対応を取ってもらうこともできた。

 城北法律事務所は地域事務所と呼ばれながら,ここしばらく,地域の諸団体と一体となって何らかの取り組みを行うことはなかった(2005年には城北法律事務所の40周年を祝っていただいているにもかかわらず)。
 今回,どのように派遣村を実現していくのか,そのノウハウもなく,実行委員になっていただいた皆さんから教えられることが数多くあった。
 第2回の池袋派遣村の取り組みは2010年2月3日に予定されている。
 今後は,2月3日の派遣村の取り組みを成功させるとともに,一日限りの派遣村活動だけでなく,諸団体と提携しながら恒常的な息の長い取り組みに変えていくことも必要であると考えている。

以上


日本郵便輸送・派遣切り事件について


東京法律事務所 平井 哲史

1 どういう裁判か
 本件は、国が100%株主である郵政グループの子会社である日本郵便輸送株式会社(以下、「日本郵便輸送」と言います。)において、「派遣労働者」として働いてきた原告ら14名が、脱法的な「クーリング期間」も用いながら、違法に原告らを使用してきたこの会社に対して、労働者としての地位の確認と賃金の支払い、そして、派遣会社と一緒になって損害賠償をすることを求める裁判です。

2 紛争の背景=郵政事業の規制緩和と郵政民営化
(1) 郵政事業の構造
 郵政事業は、郵便・郵貯・簡保の3事業から成り立っていますが、明治時代の発足以来130年にわたり、郵便のユニバーサルサービスを担うとともに、地域の金融を支え、また、地域のコミュニティーをつなぐ窓口として国民生活に貢献してきました。このうち郵便事業については、通信の秘密の保持や事業の継続性等の要請から独占事業とされています。そして、郵便事業を下支えさせるために、郵政省は事実上の子会社として日本郵便逓送株式会社(以下、「ニッテイ」と言います。)ほかの民間会社に郵便物の運送を委託していました。もっとも、この委託事務を自由競争に委ねると通信の秘密の保持や事業の継続性に問題が生じること等から、随意契約として、かつ、委託先に対して再委託を禁じていました。

(2) 規制緩和・郵政民営化による経費削減のしわ寄せ
 ところが、市場開放を求める内外の圧力のなかで郵便事業に関し規制緩和がはかられ、あわせて郵政事業について民営化の方針がとられます。この中で、郵政自体が市場競争力を高めるための投資的施策や料金値下げを実施するためとして、各種の「効率化」施策を推進してきました。この「効率化」の名の下で、一方では「かんぽの宿」やメディアで大批判を受けた大幅割引制度に代表されるような収支構造の悪化を招く施策をおこないながら、他方では、職場で働く職員に労働条件の切り下げを押しつけ、ニッテイなどの受託会社に対しては競争入札制度導入の脅しにより物件費となる委託料の引き下げを押しつけてきました。
 そして、ニッテイなどの受託会社では、委託料切り下げ分だけの労働条件の切り下げがおこなわれてきました。こうした巨大企業の横暴による負の連鎖の末端に原告ら派遣労働者が位置づけられています。
 なお、ニッテイは競争入札が導入される中での生き残り策として郵便事業株式会社(以下、「郵便事業会社」と言います。)の完全子会社化を模索し、他の受託会社と一緒に郵便事業会社の子会社に吸収される形でその目標を実現し、現在の日本郵便輸送ができあがっています。

3 原告らの業務および契約内容等
(1) 業務内容
 原告らが就いていた業務は、毎日、夜間にコンビニを回って「ゆうパック」を回収する業務です。まず、午後8時までに日本郵便輸送の制服に着替えた上で出勤します。そして、5分程度の「朝礼」をおこない,集荷のための書類を作成し,日本郵便輸送のネームの入った車両の点検をおこない,日本郵便輸送従業員の立会いの下飲酒点検を受けて,遠いコースの順に出て行きます。集荷した小包等は集荷先および種類ごとに個数を確認し,各コースごとに決められている郵便局に搬送して,郵便局の職員もしくは「ゆうメイト」と呼ばれる非常勤職員に引き渡し,個数(たいてい10〜40個)を書いた授受簿に受領印を押してもらい,営業所に戻ってタイムカードを押して1サイクルが終了します。その後仮眠に入り,午前3時までに起床してもう1サイクルをおこない,午前6時に「終礼」をやって一日の業務が終了します。

(2) 契約内容等
 原告らの労働条件は、拘束10時間、実働6時間30分程度の深夜中心の労働で、週休は原則1日でした。日給は1万1000円(後に1万円に減額)で、交通費支給、各種手当がつきます。勤務中3時間の仮眠がとれ、1か月働けば30万円弱になるので、賞与や昇給、退職金がない点の問題はありますが、この条件だけを見れば家族を養うことも不可能ではありません。そのため、職場は家計に責任を持つ30代から50代の男性で占められており、原告らのなかには仙台から仕事を求めて上京してこの職に就いた方もいます。
 また、契約期間は2か月ごとの更新となっていました。原告らは全員、この職に就くまでに複数の職を経験してきており、その経験から終身雇用の期待まではありませんでしたが、他方、郵便関係の仕事であるため、なくなることはなく、長く続けることのできる仕事だと期待をしていました。原告らを面接した担当者も長くできる仕事である旨説明をしており、後述する日本郵便輸送における一時的な直雇用期間も含めれば、長い人で4年間(更新は約23回)継続勤務していました。
 ところが、この継続勤務への期待が日本郵便輸送の事情で一方的に裏切られます。

4 紛争に至る経緯

(1)  郵政公社は、宅配便シェアの拡大を狙い、2004年8月から、夜間にコンビニエンスストアを回って「ゆうパック」を回収するサービスを開始し、これをニッテイなどの受託会社におこなわせることとしました。
(2)  これを受けて、当時のニッテイは、この業務に就く人員について、より安く労働者を使い、「労務管理上のリスク」(※裁判における被告の表現)を避けるために労働者派遣を受けることで対応することにしました。そして、2004年11月から、中野、新小川町、目黒の3営業所において、派遣会社のクレイブ(以下、「クレイブ」と言います。)から労働者派遣を受けることとしました。その契約は、期間の定めのない労働者派遣基本契約を締結しておいて、必要な人員分だけ、個別の労働者派遣契約(2か月有期)を締結して、クレイブに登録している派遣労働者の派遣をおこなうというものでした。
(3)  裁判では日本郵便輸送はこの「ゆうパック」回収事業がすぐにでも終わる懸念があったかのように主張していますが、実際には事業は拡大を続けました。そして、2007年11月には一般派遣の派遣可能期間に抵触することとなるため、日本郵便輸送とクレイブは同月から2008年2月末までの4か月間、派遣労働者を日本郵便輸送において「期間臨時社員」という名目で直雇用として、2008年3月から再びクレイブからの派遣にすることとしました。このいったんクレイブとの派遣労働契約を終了し、日本郵便輸送での直雇用にし、4か月後に再びクレイブでの派遣雇用に戻すという契約の切り替えについては都度クレイブが原告らに説明をしました。しかし、契約の形式は変わりましたが、就業実態は何一つ変わらず、労働条件も変わらないまま、ただ給料の支払名義が変わっただけです。
 この仕掛けについては、両社とも裁判上争っていますが、日本郵便輸送による直雇用期間中に、再度の派遣を予定してクレイブが雑誌で求人募集をしていました。このことから、両社において、最初から計画的に4か月の直雇用期間を挟むことで派遣可能期間をこえて長期にわたり派遣労働者として原告らを使用し続けようとしていたことが裏付けられます。
(4)  この間の2007年10月に郵政民営化が実現し、郵便事業会社が誕生します。そして、同社では、従前は禁じていた再委託の禁止を解除する方針がとられていきました。
 そこで、原告らを再びクレイブからの派遣に切り替えた後、日本郵便輸送は郵便事業会社に再委託の申請を出して、これが認められると、2008年10月から、順次派遣受け入れをやめて他社への再委託をすることとしました。
(5)  こうして日本郵便輸送は、2009年3月末で中野営業所におけるクレイブとの労働者派遣契約を一部終了させることをクレイブに通告し、クレイブは同年2月末時点で原告らの一部に対し同年3月末での雇い止めを通告してきました。(その後、同年5月末には中野営業所の残りの労働者派遣も終了させられ、残りの派遣労働者も雇い止めを受けました。)
(6)  それまでの日本郵便輸送の職場における労務管理に問題を感じていた労働者らは2008年秋に労働組合「あかしあ会」(使用する車両の通称「赤車(あかしゃ)」をもじって命名)を組織しており、同組合委員長(兼原告団長)のH氏が郵政産業労働組合に相談。同組合の紹介で自由法曹団の弁護士につながれ、自由法曹団東京支部の例会において弁護団の結成が呼びかけられました。
 平行して、あかしあ会は、3月25日、東京労働局に対し、労働者派遣法48条1項に基づき両社に対し日本郵便輸送における直接雇用を含む雇用安定のための措置をとるよう是正指導を求め、申告を行いました。
 そして、あかしあ会は日本郵便輸送に対し団体交渉を申し入れるも、使用者ではないとの理由で拒否されたため、直ちに原告候補の選定と提訴準備にとりかかります。そして、5月14日付で東京労働局が両社に対し是正指導をおこなったとの情報を入手した上で、同月22日に本件提訴に至りました。

5 提訴後の生活状況
 提訴後、原告らを含むあかしあ会の組合員は、この裁判闘争を大きな運動にすべく、全労連・全国一般東京地本一般合同労働組合に参加し、郵便関連支部をつくり、上部団体の支援も受けて、裁判闘争とともに他の営業所での組合員拡大にも取り組んでいます。
 生活は、当面、失業給付でつないいましたが、勤続の比較的短い人は給付日数も満了し、やむなくアルバイト等で食いつないでいる状況です。原告のSさんは、アルバイトの月収が7万円で、借りているアパート(3畳間)の家賃を引くと4万円しか残らず、爪に灯をともすような生活になっています。生活保護を受けている母親に仕送りもしたいところですが自身の生活さえままなりません。

6 本件が提起している派遣法の問題

(1) 登録型派遣と対象業務の広さ
 原告らは、いずれもクレイブに登録し、そこから日本郵便輸送に派遣されているが、長い人で4年間継続勤務しています。業務は引き続きありましたから日本郵便輸送が再委託にしないかぎりはもっと長く勤務し続けたであろうことは間違いありません。
 このような恒常的な業務について登録型という短期間で終わることを想定した勤務形態を適用することが本件に限らず多数の派遣切りの悲劇を生んでいます。また、そもそも派遣という働き方を特殊な技術・知識を要するのではない、そこら中にある一般の業務にまで適用を広げたことが今日のワーキングプアを招く要因になっています。
 したがって、派遣対象業務は思い切って絞り込むべきで、登録型派遣はなくすか、認めるとしても、労使ともに短期間で隔日に終わることが予見できるイベントコンパニオン等の極めて限定的な業務に限られるべきです。
(2) 「クーリング期間」
 日本郵便輸送は、派遣可能期間の後、3か月をこえる期間をおいてから再度派遣を受け入れても原則として同一の業務に継続して派遣を受け入れたものとはみないとする行政指導上の取扱いを悪用していました。3か月をこえる期間は形式上派遣でなくしておけばいいだろうということです。
 本件では、再度派遣にすることを予定していたことがクレイブの募集広告で判明したため「クーリング期間」中は労働者供給をおこなっていたものとして派遣法40条の2違反だと東京労働局は指摘しましたが、こうした脱法工作は後を絶ちません。そもそも同一の業務で数か月程度の間隔をおけば再び派遣就業を必要とする場合など想定が困難です。「クーリング期間」という行政の発想自体が見直されるべきです。
(3) みなし規定の不備
 本件に限らずほとんどの同種裁判がそうですが、被告となっている派遣先は派遣可能期間をこえて派遣労働者を同じ業務に使い続け、都合が悪くなったら派遣元ごと契約を切り捨てています。まさに「首切りゴメン」を地でいっています。
 これに対し、派遣法40条の4は直雇用申し入れ義務を定めていますが、その要件として、文言上は、派遣元からの派遣終了通知を要求しています。このことをとらえて派遣先は通知がないから直雇用申し入れ義務は生じていないと主張してきます。このような'逃げ徳'を許さないためには、一定期間をこえたら同じ労働条件で派遣先が直接雇用したものとみなす規定を創設することが必要です。
(4) 派遣先に対する罰則の弱さ
 また、違法な派遣が横行する背景に派遣先に対する罰則の弱さの問題があります。派遣可能期間をこえて労働者を派遣就業させた場合に、派遣元は刑事罰が科されることがありますが、派遣先にはそれがありません。トヨタやキャノンといった経団連の会長を出すトップ企業が率先して違法派遣や偽装請負といった違法行為を平然とおこなっていたのが問題視されていますが、派遣先に対する罰則の強化は派遣労働者の雇用の安定および労働条件の維持にとって必要不可欠です。 

以上


メーデーの意義と取組み


第一法律事務所 鶴見 祐策

1 私の思い出
 与えられたテーマに緊張せざるを得ない。そこで個人的な話題から始めたい。私が最初にメーデーに参加したのは20歳そこそこで皇居前の事件の余韻が冷めやらぬ頃と思う。労働歌と組合旗の雰囲気に慣れて気分が高揚した記憶がある。修習中は安保闘争の最中なのでメーデーはよく覚えていないが、入団してからは参加をほぼ欠かさなかった。岡崎一夫、尾崎陞、霧生昇、青柳盛雄、山内忠吉、小沢茂さんなどの元気なお姿が目に浮かぶ。私には歴史上の大先輩である。これらの先生と同じ道を歩みつつある自分に大いなる誇りを覚えたものだ。
 当時は総評の主催だった。コースは、東京合同法律事務所のある琴平町のそばを通って新橋の土橋で解散となり、その後は団の事務局もあった同事務所で愉快にビールを飲むことが多かったと思う。

2 小沢茂支部長の演説
 私が東京支部の幹事長の時と思うが、「平和と労働会館」で救援会と一緒に打ち上げ会をやったこともある。そのとき初代の小沢支部長が挨拶されたのだが、「メーデーは労働者の祭典」という労働組合の宣伝カーをやり玉にあげ、「あれは大間違い」と喝破された。「メーデーは労働者の闘いの日」というわけ。
 「もみの木」を模したメーデーでおなじみの「赤旗の歌」がある。その一節に「モスクワ伽藍に歌響き、シカゴに歌声高し」とある。モスクワはソ連邦の首都だからわかるが、なぜ資本主義のアメリカなのか訝しく思う人もあるかも知れない。小沢先生の本意を知るには歴史を紐解くことが必要であろう。

3 ヘイマーケット事件
 実は世界最初のメーデーは、1886年5月1日のシカゴ、ボストン、ニューヨークなどの都市で行われた。アメリカ労働総同盟(A・F・L)が「8時間労働制」を要求して全国的な集会を呼び掛けたのがこの日であった。38万人の労働者がストライキに突入して20万人以上が要求をかちとった。シカゴでもストライキが続けられていた。その3日目の集会に突如、武装した警官隊が投入され、4名の労働者が殺害され、約20名が負傷した。翌日ヘイマーケット広場で開かれた抗議集会に約1500名が集まった。これを実力で解散させようとした警官隊に対して何者かにより爆弾が投げ込まれた。警官7名が死亡、60名以上が負傷、群衆も4名が死亡、約50名が負傷したという。前日に演説した指導者をはじめ8人が逮捕されたが、爆弾の製造者や投擲者が最後まで不明であり、被告人らの有罪の確証が得られないまま、7名に死刑、1名に禁固15年を宣告された(4名が実際に処刑され、他は後に知事が赦免という)。これがアメリカの労働運動史上に著名な「ヘイマーケット事件」である。次々に事件が捏造されて企業側の巻き返しが進められたが、労働者側は再度のストライキ(1890年)による反撃で宿願の「8時間労働制」を獲得するのである。なお日本の法制化は47年の労働基準法の制定まで待つことになる。

4 第二インターの提唱と日本のメーデー
 事件から3年後の1889年にパリで開かれた第二インターの創立総会は、このヘイマーケット事件を記念して毎年5月1日を全世界の労働者の統一行動日と定めた。それが今日の私たちが参加するメーデーなのだ。
 日本の第1回メーデーは1920(大正9)年5月2日である。その後も毎年続けられたが、常に権力の弾圧と監視にさらされ「2・26事件」の36(昭和11)年からは禁止となった。
 敗戦後の46(昭和21)年に復活した。皇居前広場に50万人が参加したといわれる。そして「講和条約締結」「日米安保発効」直後の52(昭和27)年5月1日のいわゆる「血のメーデー事件」につながる。1232名が逮捕。261名が騒乱罪で起訴された。70(昭和45)年1月、東京地裁は一部有罪とするが、東京高裁は72(昭和47)年11月21日、騒乱罪の適用を破棄して全員無罪を言い渡す。20年間の大衆的裁判闘争の勝利であった。上田誠吉さん、中田直人さんは昨年亡くなったが、今は亡き石島泰さん、渡辺良夫さんら団員先輩の奮闘が思い起こされる。弁護団には若手(今は違うが)団員も多く参加された。

5 積極的な取組を呼びかける
 最近に思うのだが、在京の団員の参加が少ないのは寂しい。隊列では事務局の方が多いのではないか。東京支部団員の多くは、今日の労働者が置かれている苛酷な労働環境からの解放に心を砕いていると思う。未組織、派遣、パート、不安定雇用と社会保障の脆弱化のなかで「8時間労働」どころか、過密で長時間の労働が蔓延し、ときに「過労死」を引き起こしている。それを救済し改善に少しでも役立ちたいと願って奮闘しているに違いない。
 そうだとすれば、労働者階級の不屈の闘いの歴史を想起しながら、自らの志を磨くためにも一日の連帯行動に身を投ずることは意義深いものが大いにあると思う。
 よく知られているように、自由法曹団の創立は、1921(大正10)年の三菱造船所の争議で警官隊に労働者が殺害されたことが契機となっている。アメリカでの過去の事件を知っていた当時の先輩たちは、その歴史と自らを重ね合わせながら官憲の暴虐に抗議するため東京から神戸まで駆けつけられたに違いない。
 私が目撃した冒頭の大先輩たちも同じ気持ちでメーデーの行進に加わっておられたのだと思う。
 今年こそ、多くの支部団員の参加を呼びかけたい。

以上


JAL客室乗務員監視ファイル事件
〜大企業の御用組合による従業員のプライバシー侵害


東京南部法律事務所  長尾 詩子

1 「ここまでやるの?」という御用組合のプライバシー侵害
 2007年2月26日、週刊朝日に「JAL 驚愕のスクープ!社内スパイ暗躍 極 秘!客 室乗務員監視ファイル」との記事が掲載されました。
 私は、当時産休中で自宅の新聞広告で、そのことを知りました。2時間ごとの夜泣き で寝ぼけた目が、いっきに覚めるような感じでした。
 この報道で、株式会社日本航空インターナショナル(略称JAL)の御用組合である 日本航空労働組合(略称JALFIO)が収集保管する、およそ9000人に及ぶ客室 乗務員(JALFIO組合員以外の組合員も含む)の監視ファイルが存在していること がわかりました。
 同ファイルには、158項目に及ぶ個人情報が記載されていました。具体的には、住所、氏名、生年月日等の基本情報はもちろん、驚くべきことに、思想・信条に関して「創価学会」「共産党員らしい」「父親は教員。日教組」、家庭環境に関して「シングルマザー」「父なし子を育てている」「バツイチ」「総会屋の娘」「在日韓国人」、個人の病歴に関する「流産」「死産」「乳癌」「自律神経失調症」、容姿や風貌、性格などに関し「悪党」「独身で私生活も乱れている」「良い人だけに影響力がありそうなので要注意」「精神異常」「役立たず」「バカ」などと記載されていたことが明らかとなりました。週刊朝日では、このようなことがセンセーショナルに記載され、反響を呼び、何弾も連載が組まれました。
 その後の同ファイルの精査により、勤怠や個人評価などJALしか知り得ない情報が監視ファイルに多数記載されていることが判明しました。これにより、監視ファイルの作成にJALFIO執行部のみならずJAL管理職が多数、長期間にわたり関与してきたことが明らかになりました。個人情報についての人権侵害だけではなく、JALの分裂労務政策の裏側が明らかになりました。
 そこで、日本航空キャビンクルーユニオン(略称CCU)は、JALFIO及びJALに対して、監視ファイルについての真相究明と謝罪を求めました。
 しかし、JALは、監視ファイルについての責任を認めず、関与した1名を停職30日、1名を出勤停止7日、2名を譴責、21名を厳重注意の懲戒処分とし、事態の幕引きを図ろうとしました。
 そのため、このようなJALの事態の幕引きを許さず、JAL・JALFIO・関与者が人権侵害を行ったことを明らかにして分裂労務政策をやめさせるために提訴したのが、本件提訴です。

2 証拠保全をして提訴へ
 週刊朝日の記事掲載後、多数の客室乗務員らがJALFIOに対し、自らのファイルの開示を求めましたが、JALFIOは、個人情報の保護を理由に(!)、ファイル内の重要部分(たとえば、情報提供者の氏名など)に多数の黒塗りのあるファイルしか開示しませんでした。
 情報提供者がどのような立場の者なのかわからなければ、ファイルがどのような背景で作成されるようになったのか、わかりません。
 そこで、弁護団は、4回にわたり東京地裁に証拠保全を申立て、黒塗りを外したファイルを開示させるために、JALFIOに対して監視ファイルの検証手続を行いました。 こうして得た監視ファイルを分析し、さらにJALとJALFIOの一体性について確信を持ち、提訴をしました。
 訴訟としては、JALFIO組合員1名を含む客室乗務員194名及びCCUを原告、JAL、JALFIO及びJALFIO役員らを被告とし、原告ら客室乗務員のプライバシー権、自己情報コントロール権及び職場における自由な人間関係を形成する自由並びにCCUの団結権を侵害したとして、原告は1人あたり一律22万円、CCUは500万円の慰謝料を求めました。東京地裁民事19部(労働部)に係属しました(提訴時は中西裁判長)。

3 いきなりの会社による請求認諾
 2008年2月7日、第一回口頭弁論で、会社代理人が、答弁書陳述をした後、「会社は請求を認諾します」と、いきなり約4800万円の請求を認諾しました。
 私の弁護士人生初の「請求認諾」でした。しかも、東京地裁大法廷での請求認諾。
 驚きの請求認諾に、閉廷後、会社代理人に詰め寄って「理解できない。」と言ったマスコミが数社あったほどです。
 提訴後、監視ファイル事件の異常性がマスコミで叩かれたため、会社としては4800万円なら(!)支払ってしまって訴訟は終わりにしたほうがいいと幕引きを図ったとしか考えられません。
 請求認諾で「逃げてしまった」JALはともかく、このまま訴訟を終わりにすることはできないと、個人原告が1万円請求の拡張を行い、現在も、JALFIOとJAL役員を相手に訴訟は続けています。

4 進行協議
 JALFIO側は、「ファイルに氏名や住所レベルの記載しかない場合、プライバシー侵害、自己情報コントロール権侵害と言えない」、「密かに共有され、広く一般に公開されていなくてもプライバシー侵害と言えない」、「対国家権力ではなく、私人対私人間でも、自己情報コントロール侵害が問題にならない」「最高裁判決の言う『職場における自由な人間関係を形成する自由』の射程距離に入らない」など反論し、法的な論戦が続いています。
 プライバシー権は、「宴のあと」事件判決(東京地判昭和39年9月28日判決)で提示されて以降、判例学説の進展により、プライバシー侵害は私生活事実に限定されず、「他人にみだりに知られたくない個人情報」を保護対象とされてきました。またプライバシー侵害は公表を要件をせず、あるいは情報収集行為自体をプライバシー侵害と位置づけてきました。さらには、個人情報保護の流れや、大学や職場においても個人情報の保護、プライバシーの権利が問われてきました。その過程で、自己情報コントロール権という概念も形成されてきました。
 しかし、請求認諾後の進行協議で、中西裁判長は「プライバシー侵害の要件として公開が必要ですよね。」などと発言し、裁判長として未だに「宴のあと」事件判決からなかなか脱却できないでいることが露見しました。
 弁護団は、上記プライバシー権侵害の到達点を示しつつ、本件に即してさらにプライバシー権、自己情報コントロール権、職場における自由な人間関係を形成する自由を主張しました。

5 証拠調べ
 2009年2月から証拠調べに入りました。
 現時点までで終了した証拠調べは、以下のとおりです。
 2月 JALFIO報告書をまとめた当時JALFIO役員、原告1名(総論証言)(4月に裁判長交代)
 5月 原告4名
 6月 JALFIO歴代執行委員長5名
 9月 会社側証人

 原告4名は、それぞれにプライバシーを侵害された者としての心情などを訴えました。
 例えば、流産を繰り返した原告に対して、2度目の妊娠中の時期に「妊確(注:妊娠確認されたの意味)→流産BACK」などと書かれていたこと、流産をしてしまい彼女が「次こそは無事に生まれてほしい」と祈るような気持ちでいた時に、嘲笑うかのように「流産BACK」と書かれていたことを知り非常に傷ついたことを、涙ながらに証言しました。
 また、次に出てきたJALFIO歴代執行委員長は、なんの問題意識もなく、ただ情報を集めてファイルを作り続けたことを証言しました。証言の中では、JALFIOが、会社に「ちょっと言えば」個人情報を提供してくれるような関係にあったことも明らかとなりました。
 弁護団としては、JALとJALFIOとの一体性を明かにしてその違法性の強さを立証するために、JALFIO役員だけではなく、会社報告書作成に関わった者(以下「会社証人」といいます)の証拠調べを求めていました。中西裁判長は、会社証人の証拠調べ決定は留保していましたが、原告、被告の証拠調べを経て、7月10日に青野裁判長の下で会社証人の証拠調べが決定されました。請求認諾をして裁判の土俵から逃げた会社から証人が呼び出されることとなったことは、それ自体大きな成果だと弁護団では評価しました。

6 証言拒絶
 会社側証人尋問日、会社側証人は、ファイル作成についての会社側関与に関係すると思われる質問になると、「証言できません。」を繰り返しました。訴訟前の団体交渉で組合に対しては答えていた事項についても、「業務上の秘密にあたるので証言できません。」と繰り返しました。
 裁判長が「なぜ今の質問に答えることが業務上の秘密を漏らすことになるのか理解ができない。あなたがそのような態度を続けると裁判所はその証言拒絶の正当性を判断せざるをえないが、私にはその正当性は認められるようには思えないので、証言することをすすめます。」と踏み込んだ発言をしても、「証言できません。」と繰り返しました。
 そのため、別に期日を設けて、会社側証人の証言拒絶の正当性についての審判を行いました。そして、証言拒絶は正当ではないという裁判所の判断を経て、2010年2月に再度会社側証人の証拠調べ期日が設定されました。

7 終わりに
 JALは、「安全運航」と「快適なサービスの実現」を使命とする、わが国を代表する航空会社です。
 運航に従事する客室乗務員の職務については、とかく快適なサービスを提供することに目が奪われがちですが、それ以上に、客室における安全を確保する上で重要な役割を果たしています。客室乗務員がこうした職務を全うするためには、客室乗務員相互のチームワークが不可欠であることはいうまでもありません。
 監視ファイルは、JALとJALFIOが、長年にわたって客室乗務員のプライバシーを侵害し、職場の人間関係の自由を妨げる労務監視を行ってきた動かぬ証拠です。 本件訴訟は、JALとJALFIOが一体となって違法な「監視ファイル」を作成して客室乗務員の人権を侵害してきた実態とその責任、団結権侵害の実態とその責任を明らかにして、職場から人権侵害や違法行為を一掃し、もって安全運航と明るい職場を作ることを目指しています。
 本件訴訟が、JALばかりでなく、人権侵害に苦しむ多くの職場の労働者にも勇気と激励になるものと確信して、今後も闘っていきたいと思います。
 弁護団は、東京南部法律事務所から船尾、安原、大森、堀、早瀬、長尾と、さくら通り法律事務所から清水勉弁護士、リベラ法律事務所から小貫陽介弁護士(昨年12月に登録替えしました)をお招きし合計8名です。

以上


偽装派遣の法理


東京法律事務所  上条 貞夫

 以前から、偽装請負は請負でない、それは派遣であって派遣法の規制を受ける、という理論的追及が数々の判例に結実した。それなら、もし派遣が偽装であったなら、どういう法的な構造になるのか。この点の追及が、最近の派遣切り訴訟の中でも開始された。
 もしも派遣先と派遣元が、派遣の初めから、当該派遣労働者を派遣先の常用労働者の代替として派遣先の都合一つで使い捨て自由、という合意の下に派遣したなら、その派遣は偽装であって、派遣法の派遣ではない。なぜなら、派遣法の制定当時、派遣法が中間搾取構造の復活であり必然的に常用労働者の派遣労働者への代替が生ずる、という社会的な批判に対して政府は、「常用労働者が従事していた恒常的業務を派遣労働者に置き換えることは、法の趣旨に反して許されない」と、繰返し強調していた。派遣としては許されないことを派遣を装って実行するなら、それは派遣の偽装であって派遣法の派遣ではない。
 とすると、どういう法的な構造になるのか。その実は、偽装派遣先に対して偽装派遣元が当該労働者を斡旋・職業紹介することに等しい。とりわけ登録型派遣の形式を藉りた偽装派遣の内実から、偽装派遣=職業紹介の構造が容易に読み取れる。

(1)  登録型派遣の場合、当該労働者の雇用も賃金も、派遣先の都合にピタリと合わされて決められ派遣元が独自に決めることはなく、労務管理も派遣先に丸投げされる。派遣元の実際の主な役割は、派遣先での労働の対価としての賃金を、派遣料の中から派遣先に代行して支払うこと。要するに派遣元は、派遣先との関係で、使用者としての実質性・企業としての独立性が構造的に稀薄である。
 派遣元との雇用契約といっても、その実態から見れば、派遣労働者と派遣先との間に基本的関係が存在し、派遣元は単にその成立を仲介しているにすぎない。登録型派遣において派遣元の果たしている客観的な役割は、職業安定法により厚生労働大臣の許可なしには認められない「職業紹介」にほかならない。学説は派遣法制定の当初から、この関係を明確に指摘していた(西谷敏・脇田滋 編著『派遣労働の法律と実務』労働旬報社238〜239頁)。
(2)  登録型派遣を、派遣法が制度化した。しかし、それはあくまでも、派遣法による派遣と認められる場合の派遣に限って許容されるものであり、たとえば派遣の最初から派遣先の常用代替として派遣先の使い捨て自由とする派遣先・派遣元の合意が存在した場合のように、内実は派遣の偽装で派遣法の派遣とは認められない場合は、これは派遣ではない、内実は職業紹介だと認定することが、とりわけ登録型派遣の外形を藉りた偽装派遣の事案では容易なはずである。
 そこから派遣先と派遣労働者との間に労働契約締結の黙示の意思が客観的に推認される。安田病院事件・大阪高裁平10.2.18判決〔労判744−63〕が、労働契約の成否は「明示された契約の形式のみによることなく、当該労務供給形態の具体的実態を把握して・・・・・両者間に客観的に推認される黙示の意思の合致があるかどうかにより決まる」とした判旨は、偽装派遣の解明においても共通の指針となる。

 最近の数多くの派遣切り訴訟の中で、ケースによっては、偽装派遣論と違法派遣論とが並列的に主張されるようになった。偽装派遣論の強みは、諸々の契約関係の有効無効を論ずるまでもなく、事案の具体的実態(とりわけ当初から派遣先の常用代替・使い捨て自由の合意)から、この派遣は偽装で内実は職業紹介だ、として派遣先との黙示の労働契約の成立を論証する道が開かれている点にある。つまり、伊予銀・スタッフサービス事件高松高裁判決(平18.5.18)や一橋出版・マイスタッフ事件東京高裁判決(平18.6.29)や松下PDP事件最高裁判決(平19.12.18)の論理とは全く関りなく、従来の既成の論理の枠組みとは全く別個の論理で、派遣労働者の権利を、したたかに擁護するものである。今後、団内でも大いに議論を深めたい。
 実は、偽装派遣論は歴史がある。ドイツの現行労働者派遣法の制定前、1960年代の西ドイツで、派遣事案の最上級審判例は、関係当事者の契約文言の外形にとらわれることなく実態を分析し、派遣禁止規定が連邦憲法裁判所判決で違憲とされ法制度上は派遣が自由化された状況の中で、適法な派遣の装いの下に実質的には違法な職業紹介に等しい場合があり得ることを解明し、職業紹介として派遣先との労働契約を認める労働者保護の判例法理を確立した。この法理が現行労働者派遣法(1972年)に受継がれ、学説もこの判例法理を一貫して支持している。この偽装派遣=職業紹介の法理は、労働者派遣が大幅に自由化された我が国でも、共通の法解釈の指針となる筈である。 詳細は、上条貞夫「労働者派遣の法理−ドイツ司法の軌跡」労旬1685−16。同「派遣か職業紹介か」労判966コラム《遊筆》。

以上


非正規労働者のたたかい、立法について


代々木総合法律事務所  大普@潤一

 鉄鋼下請けの期間工雇い止めなど、自動車ほかさまざまな産業で派遣そのほかの非正規労働者のたたかいが展開されている。そして派遣法の抜本改正などの立法闘争も進められている。
 労働法制の立法闘争について、これまで私たちは非正規労働者の問題だけでなくさまざまな分野で重要な成果を勝ち取ってきた。私自身は特に立法闘争に取り組んだと言うことはないのであるが、私たちの成果を振り返り確認することは今後の取組にとっても大きな意味があろうと考えこの一文を書くものである。
 私たちは労働法制改悪問題で、金で首切りの策動などを法案提出以前に粉砕するという画期的成果を多くの方面でおさめてきた。そのような悪法阻止を果たしたものの一つとしてホワイトカラーエグゼンプションを挙げることができるであろう。
 この問題が持ち上がってきた最初のころの私の正直な心境を書くなら、大変だなあ、大丈夫かなあというものであった。ホワイトカラーエグゼンプションといってもこのカタカナ語からは何のことか全く分からない。そもそも正確な言い方がエグゼンプションなのかイグザンプションなのかさえよくわからない状況だった。「ホワエグ」というような略語も言われなかった。ホワイトカラーエグゼンプション反対の潮流が自然にとうとうと広がっていくとはいえないような状況だったとの記憶がある。しかし団を始めとした運動が広がる中でその問題点が知られるようになっていった。夕刊紙などでも残業代ゼロと書かれるようになりこれは大変なことだという世論が浸透していった。
 そして法案提出を断念させるという極めて重要な成果を勝ち取った。この時期、悪法反対闘争は法案を出させないことが決定的であった。法案が芽を出す前につみ取る、これが勝利の方程式であった。ホワイトカラーエグゼンプション反対の取組はまさにこの王道を歩んだものであった。団がいかに大きな力を持っているか、それを発揮したときにいかにすばらしい結果を挙げることができるかを感じたものであった。
 ホワイトカラーエグゼンプション阻止がいかに大きな意義を持っていたかは改めて書くまでもないだろう。それは、もしホワイトカラーエグゼンプションが強行されていたらどんな社会になっていたかを想像するだけで明らかである。
 ホワイトカラーエグゼンプションが成立していれば新自由主義、構造改革は新たな、そして極めて重大な一歩が進んだだろうことは間違いない。
 弁護士実務にも大きな影響が及んだだろう。未払残業代を労働審判で請求することということも難しくなっただろう。
 また非正規労働者の問題に取り組むためのエネルギーがそがれ、この分野のたたかいの困難も増したに違いない。
 このような事態を想像するとホワイトカラーエグゼンプション阻止の重大さを実感する。このような成果を私たちの運動は、現在よりももっと厳しかった時代でも獲得してきたのである。
 私たちの運動が前進すると逆流が起こる。派遣法などの立法運動でもそうだろう、しかし私たちがこれまで立法運動で大きな成果を上げてきたことを思い起こすことも無駄ではないであろうと考えこの文章をしたためた次第である。

以上


社会保険庁職員分限免職の法的問題点


東京法律事務所 中川 勝之

はじめに
 2010年1月1日,日本年金機構が設立された。社会保険庁廃止に伴い,2009年12月28日,同月31日付けで525名の社保庁職員が分限免職処分を受け,100名以上の元社保庁職員が失業状態となった。国の組織改廃に伴う国家公務員法78条4号に基づく分限免職処分の発動は1964年以来実に45年ぶりであった。
 年金機構設立にあたっては,2008年7月29日に閣議決定された「日本年金機構の当面の業務運営に関する基本計画」(以下,「基本計画」という。)により,被懲戒処分者の一律不採用を含む選別方式という採用方針が採られたが,政府はその方針を改めることなく,分限免職処分回避の努力も尽くさず,本件分限免職処分を強行した。しかし,本件分限免職には看過できない重大な法的問題点が多々含まれている。

1 国公法78条4号に基づく分限免職
 まず,国家公務員には強い身分保障が認められており(国公法75条),職員の分限や懲戒等については公正で(同法74条),平等でなければならない(同法27条)。分限免職処分が許されるのは「人事評価又は勤務の状況を示す事実に照らして,勤務実績がよくない場合」(国公法78条1号),「心身の故障のため,職務の遂行に支障があり,又はこれに堪えない場合」(同条2号),「その他その官職に必要な適格性を欠く場合」(同条3号),「官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」(同条4号)に限られる。
 そして,国公法78条4号に基づく分限免職処分は民間企業における「整理解雇」に相当する。そもそも「解雇」については客観的合理的な理由と社会通念上の相当性を満たすことが必要であるが(労働契約法16条),特に「整理解雇」については4要件(@人員削減の必要性,A解雇回避努力,B解雇基準・人選の合理性,C解雇手続の相当性)を満たすことを必要とするのが確立した判例法理である。この法理が信義誠実の原則(民法1条2項)ないし権利濫用禁止(同条3項)という普遍的な法原理に基づく法理であることからすれば,いわゆる任用論を前提としても,国家公務員の分限免職処分も「整理解雇」の法理に準じて違法性(裁量権の逸脱又は濫用)を判断すべきである。人事院規則11−4も「いかなる場合においても,法第27条に定める平等取扱の原則,法第74条に定める分限の根本基準及び法第108条の7の規定に違反して,職員を免職し,又は降任し,その他職員に対して不利益な処分をしてはならない。」(2条),「法第78条第4号の規定により職員のうちいずれを降任し,又は免職するかは,任命権者が,勤務成績,勤務年数その他の事実に基き,公正に判断して定めるものとする。」(7条4項)と規定している。

2 人員削減の必要性がなく,選別採用の合理性もなかった
 これまでも組織改廃等により,国の行政機関は独立行政法人等(国立大学・国立病院・研究機関等)となったり,民営化(郵政事業)されたりしたが,職員の雇用は承継されるのが通例であった。これは,新しく発足する機関等においても従来と同一の業務を継続して行うためには,従来の業務に精通し,専門的な知識と豊富な経験を持った職員が必要であり,同時に国民へのサービス維持のため従来の人員数が必要であったからである。
 そして,年金機構も社保庁の業務を承継する非公務員型の公法人であり,また,年金記録問題への対応のため業務が増える一方で離職が相次ぐという悪循環により多数の欠員が生じていたことからすれば,少なくとも従来の人員数に見合う職員が必要であった。実際,年金機構は外部から1000人以上もの職員を採用した。したがって,「廃職又は過員」は生じておらず,人員削減の必要性が全くないことは明らかであり,分限免職処分の前提を欠く。年金機構への雇用を希望する職員は全て当然に採用されなければならず,それが可能であった。しかし,年金機構の採用については前記のとおり選別方式が採られており,それ自体全く合理性がない。その不合理性・異常性は選別方式が国鉄分割・民営化以来であることからも明らかである。しかも,選別方式であっても実態としては新規採用ではないから,実質的には雇用の承継,すなわち希望者全員の採用であるべきところ,懲戒処分を受けていない職員13名が採用拒否された。この採用拒否は前記の国公法78条の1乃至3号に基づいては到底なしえなかった分限免職処分を選別方式を口実としてなしたことと法的には等しい。

3 被懲戒処分者の一律不採用の不合理性
(1)与党による一律不採用への「修正」
「基本計画」の選別方式という採用方針自体の不合理性は前記のとおりであるが,特に被懲戒処分者の一律不採用の不合理性は著しい。「基本計画」は,年金業務・組織再生会議が2008年6月30日に取りまとめた「日本年金機構の当面の業務運営に関する基本的方針について(最終整理)」を踏まえて決定されたものであるが,「最終整理」においては,懲戒処分を受けた職員も有期雇用職員としての採用は可能とし,採用後も正規職員への採用の道を開いていた。設立時に正規職員として採用しないこと自体不当であるが,懲戒処分を受けた職員の雇用に配慮した方針であった。しかし,与党は「国民の信頼回復」を口実として懲戒処分を受けた職員の一律不採用の「修正」をし,「基本計画」が決定された。その結果,懲戒処分を受けた職員は年金機構への応募すらできなかったのである。

(2)二重処分の禁止の原則に反する
 懲戒処分は非違行為に対する制裁であり,懲戒処分を受けた職員は当該非違行為に対する制裁を既に受けたということである。しかし,その懲戒処分を受けたという一事をもって年金機構に不採用とされ,分限免職処分を受けることは既に制裁を受けた同一の非違行為に対する二重の不利益処分を受けることであって,二重処分の禁止の原則に反する。不採用自体は処分でないものの不利益取り扱いであることからすれば,二重どころか三重の不利益処分ともいえる。

(3)比例原則に反する・相当性を欠く
 しかも,非違行為とそれに対する処分の程度は均衡すべきであるところ,過去の懲戒処分の事由,量定,時期等は一切関係なく,懲戒処分を受けた職員は一律不採用とされ,分限免職処分を受けた。これは当該非違行為が到底懲戒免職(国公法82条)に値しない程度の行為であっても懲戒免職処分を受けるに等しい過重な処分であり,比例原則に反し相当性も欠くものである。
 実際,対象となる職員(1万3657人)の懲戒処分の状況(2008年10月1日当時)によれば,876件(848人)のうち,戒告は604件で全体の約7割であり,その中には交通法規違反もあったといわれている。また,「のぞき見」と言われた「業務目的外閲覧」は603件でやはり全体の約7割で,そのうち戒告は468件であって,懲戒処分の過半数は「業務目的外閲覧」による戒告であったということになる。しかし,「業務目的外閲覧」によって国民に損害を与えたわけではない。民間企業でこのような理由に よる解雇が認められるはずがなく,全く異常というほかない。

(4)信義則ないし禁反言法理に反する
 そもそも,一律不採用とそれに引き続く分限免職処分の前提となった懲戒処分については処分に至る調査や量定の決定等が杜撰かつ恣意的であり,懲戒処分自体の妥当性に大きな疑義があった。特に前記のとおり件数が多かった「業務目的外閲覧」についてそれが顕著であった。
 すなわち,禁止前の閲覧も処分対象とされ,自らが閲覧した覚えがないと否定した職員もオンラインにアクセスするためのカードの管理を怠ったとして処分され,あるいは勝手に量定が重くされ,「冤罪」が多発した。不十分な調査に基づくが,処分の量定は過重でそのことは当時の社保庁長官談話も「職員にこの問題の重大性を認識させるため,過去の処分事例に比べても非常に厳しい処分を行いました」(2005年12月27日)として認めていた。同時に同日の社保庁による「業務目的外閲覧行為者に対する処分について」においては,「平成20年10月に発足予定の新組織(注:当時予定されていた「ねんきん事業機構」のこと)の職員の任用においては,今回の処分を重視しつつ,勤務成績等に基づき公正に判断する」と明記されており,懲戒処分が雇用に直結するとはされていなかった。また,当時の社保庁長官は全国の社会保険事務所に懇談に訪れた際,職員の懸念に対して「これから頑張れば当然雇用は確保される」趣旨の発言を繰り返しており,現場の上長も同じであった。その結果,前記のとおり懲戒処分自体の妥当性に大きな疑義があったが,大多数の職員は人事院への不服申立や訴訟を控え業務に邁進したのである。妥当性に大きな疑義のある懲戒処分を受け入れさせて,後に当局側の発表や発言を反故にして懲戒処分を理由になした本件分限免職処分は信義則ないし禁反言法理(民法1条2項)に反する。

4 分限免職処分回避のための努力は尽くされなかった

(1) 「努力」は掛け声で終わった
 「基本計画」の最後の「Y 機構の発足に向けて」の中で「機構に採用されない職員については,退職勧奨,厚生労働省への配置転換,官民人材交流センターの活用など,分限免職回避に向けてできる限りの努力を行う。」と明記されていた。しかし,以下のとおり,分限免職処分回避のための努力は尽くされなかった。
(2) 「雇用調整本部」の枠組みから除外
 他省庁の定員削減においては「雇用調整本部」が内閣に設けられて政府と全省庁を挙げて他の公務職場への配置転換が行われ,2009年度も300人以上の国家公務員の配置転換が行われている。しかし,社保庁職員はこの枠組みから除外され,他の公務職場への配置転換について努力が行われなかった。こうした差別的取り扱いは平等取り扱いの原則(国公法27条)に反する。
(3) 再就職先が保障されなかった
ア 形ばかりの「再就職支援」
 社保庁では2009年6月25日の年金機構の内定通知に先立ち,採用されなかった職員に対応するため「職員再就職等支援対策本部」,「再就職等支援室」が設置され,地方事務局においても「地方支援室」という組織を設けるよう指示がなされた。しかし,中央・地方の支援室による「再就職等」の支援は名前だけで実体がなく,就職先未定の職員に対して支援室の体制の周知,連絡先の通知すら十分に行われていなかった。
 また,雇用確保の取り組みについても最初から公務職場への配置転換は困難として官民人材交流センターを通じた民間企業への斡旋を第一の方針とし,職員の国家公務員としての身分を保障しようとする姿勢は皆無であった。公務員としてのあっせんを求める職員は実質的には支援対象から除外され,支援室からの連絡も半年近くの間に数えるほどしかなかった。
イ 役に立たない官民人材交流センター
 官民人材交流センターについても募集企業の有無やその数等について対象の職員に説明をすることもなく,ただ登録するよう強いるだけであった。また,登録後はセンター任せで再就職の支援をすることなく放置し,職員が自力で就職活動を求めているのと変わらなかった。
ウ 回避努力に値しない「対応策」
 分限免職処分を受ける職員が大量に発生することを懸念した政府は,2009年12月1日になって「就職の決まっていない社会保険庁職員への対応策について」を発表し,懲戒処分を受けていない職員を対象として年金機構の准職員の追加募集(170人程度)と懲戒処分を受けた職員も応募可能な厚生労働省の非常勤職員の公募(200〜250人程度)を明らかにした。しかし,就職未定の職員全員を採用するわけではなく,また,いずれの労働条件も有期雇用で「解雇」を先送りするものでしかなく,賃金も大幅減少するものであって不十分なものであった。
(4) 雇用を確保して配転・再就職支援を継続すべきであった
 国家公務員に雇用保険はなく,再就職先がなかった職員は元旦から一切の収入がない状態に置かれた。あの国鉄でさえ,数年間の雇用を保障して配転・再就職支援を継続したのであり,社保庁職員に対してできないはずがなかった。しかし,社保庁廃止と同時に本件分限免職処分が強行された。

5 説明義務違反
 政府は,本件分限免職処分に先立ち,人員削減の必要性,選別採用,分限免職処分回避の努力等について,職員及び職員団体に対して十分な資料を提供するとともに誠実な交渉等を通じて説明を尽くす義務があった。しかし,政府はその義務を怠った。

6 まとめ
 以上のとおり,年金機構設立に際し人員削減の必要性はなく,選別採用,特に被懲戒処分者の一律不採用に合理性もなく,さらに政府は分限免職処分回避の努力を尽くさず説明義務も怠った。
 したがって,本件分限免職処分が違法であることは明らかであり,人事院や裁判所の判断を待たずして取り消されるべきものである。

以上


山場を迎えた国鉄闘争と鉄建公団訴訟の解決への展望


渋谷共同法律事務所   萩尾 健太

1 解雇された者の現状
 1987年4月の国鉄の分割・民営化からまもなく24年を迎えようとしています。それに先立つ同年2月16日、組合差別の不当労働行為により、JRに不採用となり、国鉄清算事業団で3年間の飼殺しを経て解雇された国鉄労働者1047名とその家族は、あまりにも長く厳しい生活と闘いを強いられてきました。すでに国労闘争団員の平均年齢は56歳、全動労争議団員の平均年齢は63歳になっています。また、解決を見ることなく他界した被解雇者は59名(2010・1・23現在)を数え、病床に臥せっている闘争団員・争議団員も多数います。それは、この闘争が精神的にも肉体的にも過酷なものであることを示しています。
 解雇された当時は、多くの被解雇者が子育ての最中でした。それから24年たち、今は親の介護が問題となってきています。その間、闘争団にアルバイトなどの収入を入れて、そこから必要に応じて10数万円程度の分配を受ける苦しい生活をしてきました。
 離婚したり、子どもと別れたりという不幸を味わってきた者もいます。死別した親や祖父母の墓前に、勝利解決を報告したい、それが被解雇者の思いです。
 文字通り家族共々塗炭の苦しみにあえいでおり、この問題の解決は一刻の猶予も許されません。

2 裁判の現状
 組合員が不採用となった国労・全動労・動労千葉は、1987年、JR各社を相手として、地方労働委員会に不当労働行為救済の申し立てをしました。地労委、中労委で基本的にJR各社の不当労働行為が認められたものの、JR提訴による行政訴訟では、地裁、高裁とも、JRは不当労働行為の責任は負わない、として救済を否定しました。2003年12月22日、最高裁も、不当労働行為があればその責任は国鉄・清算事業団が負う、としてJR各社の責任を否定しました。
 しかし、この不当判決に屈せず、闘いは継続されてきました。
 現在、(1)国労組合員ら304名による、国鉄清算事業団を承継した鉄建公団相手の解雇無効確認と損害賠償請求の訴訟(鉄建公団訴訟)が、最高裁第三小法廷に係属し、(2)国労組合員ら35名による同内容の第2次訴訟(鉄道運輸機構訴訟)が東京高裁第14民事部に継続しています。私はこの2つの訴訟を担当しています。
 (3)全動労組合員らによる鉄道運輸機構に対する損害賠償請求訴訟(全動労鉄道運輸機構訴訟)が東京高裁第24民事部に係属しています。
 (4)国労本部と国労組合員ら542名による鉄道運輸機構に対する損害賠償請求訴訟(採用差別国労訴訟)が東京地裁民事第11部に係属しており、既に結審し、判決期日は追って指定とされています。
 (5)横浜人活センター事件で停職処分とされJR不採用となった3名による鉄道運輸機構に対する解雇無効確認と損害賠償請求の訴訟(採用差別横浜人活訴訟)は、昨年12月、横浜地裁民事7部で、不当にも敗訴判決が言い渡されました。
 (6)動労千葉組合員9名による鉄道運輸機構に対する解雇無効確認と損害賠償請求の訴訟は、現在、東京地裁民事第11部に係属しています。
 上記の(1)鉄建公団訴訟は、地裁判決、高裁判決とも、国鉄による不当労働行為を認定したものの、解雇無効は否定し、JR不採用との因果関係を否定して賃金・退職金・年金相当損害を認めず、各原告につき慰謝料・弁護士費用550万円の支払いを命じただけでした。
 (3)全動労訴訟の地裁判決も、同様に550万円の支払いを命じただけでした。
 これらの訴訟は、国鉄の不法行為の消滅時効の起算点を、2003年12月22日の上記最高裁判決時としています。
 他方、上記のA鉄道運輸機構訴訟とD採用差別横浜人活訴訟では、国鉄による不法行為とその損害を早期に原告らは認識していたとして、時効を認め請求をすべて棄却する不当判決を言い渡しました。
 各訴訟では、当事者の苦難の24年に報いる判決を勝ち取るべく、学者などの援助も得ながら、奮闘しているところです。

3 政治解決への動き
 さる2009年12月25日には、与党3党が鉄道運輸機構に対して「JR不採用問題の解決についての要請」を行いました。また、今年1月19日の記者会見で、前原国土交通大臣は、1日も早い解決が望ましい、とコメントしました。
 JR不採用問題は今、解決へ向けて大きな局面を迎えています。
 既に、2008年7月、鉄建公団訴訟東京高裁控訴審で17民事部の南裁判長は、解決に向けた当事者間の裁判外での話し合いを提案し、それを受けて当時の冬柴国土交通大臣は、この提案について「お受けしてその努力はすべきだ」と述べました。同様に金子国土交通大臣は、同控訴審結審日に「当事者それぞれがこの判決を真摯に受け止めて、誠心誠意、事に当たられることを期待いたします。」とコメントしました。
 こうした中、2009年3月25日東京高裁第17民事部は「不当労働行為」があったことを明確に認める等の判決を言い渡すと共に、南裁判長は「この判決を機に1047名問題が早期に解決されることを望みます」との異例のコメントを付け加えました。2009年2月16日、星陵会館で開催した集会で当時の民主党鳩山幹事長(現総理大臣)は「23年が24年とならないうちに、解決になれるように私どもとしても全力を尽くして参りたいと思います。」と述べました。
 また、2009年11月26日開催した「JR不採用問題の解決に向けた11・26集会」でも、民主党を始めとする政権与党の各代表者と、野党の出席を得て、「連立与党の一つの政党として、内閣・政権に対しても解決を図れるような状況を作り出すために尽力をして参りたい」「23年が24年にならないように各党力を合わせてやるべき」等との力強い決意を頂きました。
 ILO(国際労働機関)も、日本政府に対して「政治的・人道的見地の精神に立った話し合いを全ての関係当事者との間で推進するよう勧める」との「勧告・報告」を出しています。
 さらに、内閣総理大臣・国土交通大臣・厚生労働大臣等に対する「JR不採用事件の早期解決を求める地方議会の意見書」は、北海道議会・東京都議会・福岡県議会をはじめ、全国で831自治体、1227本(2010・1・18現在)以上の地方議会で意見書が採択されています。
 この好機を逃さず、当事者の要求である「雇用・年金・解決金」を勝ち取り「路頭に迷わない解決」を実現するために、当事者および共闘の4者4団体は、2月16日に日比谷野外音楽堂で「JR不採用問題 解決へ! 2・16中央集会」の開催を企画しています。長きにわたる国鉄闘争も、大きな山場を迎えています。

4 働く者の生活と権利が保障される社会を取り戻すために
 国鉄分割民営化と、それによる組合潰しは、現在の新自由主義による雇用破壊と組合潰しの原点となったものです。
 しかし、郵政民営化見直しなど、現在、新自由主義政策の見直しもなされています。
 新自由主義の根本的な是正は、この国鉄闘争の解決なくしてあり得ません。働く者の生活と権利が保障される社会を取り戻すためにも、多くの団員の皆さんの国鉄闘争への一層のご支援・ご協力をお願いする次第です。

以上


労働審判制度の現状と未来


旬報法律事務所   新村 響子

1 労働審判事件数の増加とその評価
 労働審判の申し立て件数は、年々増加している。平成22年1月12日集計による行政局調べの概数値によれば、全国で申し立てられた労働審判の件数は、平成18年が877件、平成19年が1494件、平成20年が2052件、平成21年(1月〜11月まで)が3141件となっており、平成20年から平成21年は1000件を超える増加である。
 中でも東京地裁の事件数は、平成21年(1月〜11月まで)が1030件と全国でも群を抜いている。
 このように労働審判が増加する一方、本訴が減っているのかといえばそういうわけでもなく、むしろ本訴も増加しており労働事件全体数が増加しているのであるから、労働審判制度が新たな労働事件の掘り起こしにつながっているといえる。
 このように労働審判事件が順調に増加している理由としては、近年の不況による労働事件そのものの増加もあろうが、何よりも労働審判制度が利用しやすいからであると思う。労働審判は3回で終了し、期間にして申し立てから4ヶ月程度で一定の結論を得ることができる。依頼者に本訴、仮処分、労働審判それぞれの制度の特徴等を説明した際に、期間が短いという理由から労働審判を希望する依頼者が多いことを見れば、労働審判制度は、その依頼者のニーズにかなった制度なのだろう。弁護士としても、労働審判は調停的な要素もあるため、「まずは労働審判でやってみる?」と言いやすい制度である。

2 労働審判による事件解決
 労働審判を選択できる事件の幅も広い。制度開始当初は裁判所が労働審判に望ましくないと述べていた整理解雇事件も労働審判で解決することができている。その他、私は、育児休業を取得する地位の確認請求や、株式の持分精算請求、過労によるうつ病罹患を理由とする損害賠償請求などの事件を労働審判を利用して解決した。
 労働審判の調停での解決率は、71.7パーセント(全国累計)であり、労働審判後も異議申立がなかったものも含めると約80%以上が労働審判で解決していることになる。評価の問題ではあるが、解決率は高いといってよいのではないかと思う。
 その解決にあたって、民間から選ばれた労働の専門家=労働審判員の果たしている役割は少なくない。私の経験する限り、労働審判員は申立書、答弁書にしっかり目をとおして事案や争点を把握・整理して労働審判に臨んでくれていると感じる。自分の会社では・・・というような審判官にはない知識と経験に基づいて質問や判断をしてくれることがとても力になることもある。

3 今後の課題
 このように、労働審判制度が順調に件数を増やし、利用しやすい制度として確立しつつあることは評価すべきである。
 ただし一方で、課題と感じる点もある。
 例えば、審判官あるいは審判員による違いである。労働審判は第1回でほとんどの事実関係の確認と争点整理を行ってしまうわけであるが、そこできちんと争点を整理しつつ双方からきちんと事情を聴いてもらえるかどうかが、審判官や審判員のやり方やキャラクターによって変わってしまうことがある。なかなか事実をきちんと聴いてくれない審判官であっても主張をするのが代理人の役割なのであろうが、審尋の進め方については、弁護士会と裁判所の協議等を通じて意見を述べていく必要がある。同様に、私は地方での労働審判を担当したことがないが、労働部ではなく労働審判の経験も少ない裁判官が労働審判を行う場合には、より裁判官のやり方による「差」が生じてしまうおそれがあると思われる。
 また、解決水準も課題である。調停という性質上、審判委員会はお互いに対して「譲る」ことを強く要求する。その結果、解雇事件の申立人が職場復帰を強く望んでいるのに金銭解決を執拗に進めて審判を出したり、賃金支払請求事件の勝訴案件であるのに申立人側も大幅な譲歩を求められたりすることがある。また、解雇事件の金銭解決水準も運用開始当初に比べれば下がっているように思われる。事案に応じて柔軟な解決を行うことは重要であるが、それが単に「適当なお金でまるめる」というレベルにまで落ちてはならない。それぞれの事案に即した解決水準が維持されるよう代理人としても努力しなければならないと思う。
 さらに、審判員の制度に対する意見をもっと活かすべきである。例えば、東京地裁では運用当初からの弁護士会からの再三にわたる要求にもかかわらず、審判員に対する証拠送付は行われていない。この点については、審判員経験者との交流などを通じて審判員自身も証拠の送付を希望する意見が多いと感じるところであるが、審判員がその意見を裁判所に述べるような機会はないという。
 その他、課題等は多いが、今後も労働審判を積極的に活用し、よりよい解決制度にしていくべきであると思う。

以上


東京海上日動火災事件報告


新宿総合法律事務所   牛久保 秀樹

 東京海上日動事件は、東京高裁第5民事部において、平成22年2月3日和解が成立して解決した。その内容は、原告団が、正社員として、引き続き保険募集業務に従事することを保障し、定年後もシニア社員として、保険募集に従事し、退職後、個人で代理店を開業する場合も、従来の保険契約を継承できることが合意されている。就労の受け皿として、会社は、100%出資の子会社の専門代理店を設立して、専門代理店への出向は、正社員としての身分を保持したままなされる。

 東京海上と日動火災は、合併後、これまで日動火災にあった、正社員が保険募集に従事する外勤制度を廃止することとして、保険募集を続けたいならば、保険代理店に移行するよう通告してきた。900名がいた職場が廃止されることとなり、40名の原告団が闘いに加わった。
 和解を実現した力は、何よりも、原告団が、闘いに立ち上がり、その闘いを全日本損害保険労働組合が全面的に支援したことによる。
労働組合が、なかなか、組織全体としては、労働争議を支援しにくい状況の下で、全損保は、個人加盟の単一組合であることの特性を生かして、東京海上日動の闘いをみずからの課題と位置付けた。法廷外の闘いでは、500万枚のビラを配布し続けた。その力が、平成21年6月の株主総会で、社長の「踏み込んで解決いたします」との回答に結実している。

 闘いのなかで、東京都地方労働委員会における実効確保勧告、労働委員会命令等重要な成果が積み重ねられてきた。中でも、大きな分水嶺となったのは、東京地裁民事36部の勝利判決である。難波裁判長を含めた36部は、外勤社員制度が廃止される前に、大事件であるにもかかわらず、提訴から、1年と2ヶ月で、職種限定労働契約の存在を認め、更に、制度廃止に対して、事前差し止めを認める判決を出した。会社は、この判決を受けて、控訴しながらも、特例措置として、原告らの保険募集業務継続を承認した。そのため、制度廃止後も、解雇されることなく就労し、また、会社も和解解決に踏みこみやすい環境が維持された。画期的な地裁判決は、事実と道理にもとづいて展開した訴訟活動の結果であるが、あわせて、地裁1階の大法廷を含めて、傍聴席が一杯とされるだけではなく、40名を超える原告団が、毎回、当事者席を埋め尽くした力が、裁判所を動かしたとみることができる。

 弁護団には、若い弁護士が参加して、原告団からの聞き取り、証人尋問を担当した。その若々しさもまた、地裁判決にいたる原動力の一つとなった。

以上

 
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