自由法曹団 東京支部
 
 
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事件活動―警察

足利事件再審公判の現状報告


東京合同法律事務所   泉澤 章

<この半年間>
 1990年に栃木県足利市で発生した幼女誘拐殺人事件(足利事件)で犯人とされ、無期懲役が確定し服役していた菅家利和さんが、DNA再鑑定によって無実であると判明し、千葉刑務所から釈放されておよそ半年が経った。科学鑑定の最先端のように言われていた過去のDNA鑑定が実は完全に誤っていたこと、他方で新たなDNA鑑定が無罪の決定的な証拠ともなったこと、弁護団も予期しなかった突然の菅家さん釈放というドラマチックな展開となったこと等々から、足利事件は一躍マスコミの脚光を集め、冤罪の代名詞のように報道されてきた。更に、足利事件が密室で作られた「虚偽自白」の典型例であったことから、われわれ弁護士が長年望んできた捜査過程の全面可視化要求運動においても、重要な意味を持つことになった。弁護団の予想をはるかに超えて、この半年間の足利事件をめぐる動きは極めて激しく、そして速い。ここで全体的な報告をすることはとてもできないが、以下、この半年間における足利事件の概要の更に素描をここでお伝えする。

<DNA再鑑定と突然の菅家さん釈放>
 2008年12月、東京高裁第1刑事部(田中康郎裁判長)は、同年2月に再審を棄却した宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)が認めなかったDNA再鑑定の実施を決定した。そして、弁護側申請の本田克也筑波大学教授、検察側申請の鈴木廣一大阪医科大学教授が、それぞれ犯人由来の精液が付着している半袖下着と菅家さんのDNA型を鑑定したところ、いずれの鑑定も、犯人と菅家さんのDNA型は異なるとの結果が出た(5月8日発表)。この瞬間、「菅家さんは足利事件の犯人でない」ことが客観的に明らかとなったのである。このDNA再鑑定結果を受けた検察は、6月4日、何の前触れもなく、突如として菅家さんを釈放した。菅家さんにとっては1991年12月の逮捕以来、実に17年半ぶりに得た自由だった。

<三者協議での攻防と宇都宮地裁の決断>
 菅家さん釈放の喜びもつかの間、検察、そして東京高裁(東京高裁は矢村宏裁判長に交代)は、確定審の第一審、控訴審、上告審、そして再審請求審第一審の4度にわたる過ちを深く検証することなく、「早期幕引き」を図ろうと画策する。6月24日、東京高裁は新たな証拠調べをせずに再審開始を決定し、その後宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で開始された再審公判のための三者協議において、検察は、新たな証拠調べは全く不要であり、直ちに無罪判決を言い渡すべきとの意見を繰り返した。これに対して弁護団は、来るべき再審公判はこれまで足利事件の判断をなぜ誤ったのか検証の場でなければならず、新たな証拠調べは不可欠であると主張した。これに対して宇都宮地裁は、誤判原因を探るため模索的な証拠調べは許されないとしながらも、「誤判であることを確定する前提として、有罪判決に至った確定審の手続に違法がある旨の当事者の主張について、これを検討するためにその必要性を吟味したうえで証拠調べを行うことは…なお刑事訴訟法手続の枠内にある」として、基本的に弁護団の主張する再審公判での証拠調べを行うとの姿勢を示した。

<鑑定人尋問と科警研の悪あがき>
 宇都宮地裁の判断を受けて、科警研の旧鑑定の誤りと再鑑定の信用性を吟味するため、再鑑定を行った鈴木教授と本田教授の尋問が行われることとなった。両者とも菅家さんと犯人由来精液のDNA型鑑定は異なるという結果に違いはないが、本田鑑定は、菅家さんを有罪とした科警研のMCT118型(DNAの一部位)鑑定の方法が当時としてもいかに誤ったものであったか、そして新たにMCT118型鑑定を行った場合、真犯人のMCT118型が何型かまで判断していた。もし本田鑑定に信用性が認められてしまうと、足利事件以外で証拠となったMCT118型鑑定の信用性も総崩れとなり、そうなると一昨年死刑が執行された福岡の飯塚事件などへの影響も避けられないことになる。そのため検察は新たな証拠調べは不要と自ら主張しておきながら、本田鑑定を攻撃するため、科警研所長の福島弘文氏を証人として申請した。これは、科警研の旧鑑定を最後まで守り抜こうとする検察、科警研の悪あがきであった。証人として採用された福島証人はその尋問において、旧鑑定はその当時の方法として正しかったと強調し、あくまで旧鑑定を擁護する立場を鮮明にした。

<取調べテープ再現と取調べ検事尋問>
 宇都宮地裁は、再審公判段階になってその存在が明るみになった(マスコミのリークによる。)、菅家さんに対する検察官の取調べテープを、法廷で再生することによって取調べ、更に当時担当検察官であった森川大司元検事(現公証人)を証人として採用することを決定し、足利事件のもう一つの論点である、自白の任意性問題に切り込む態度を明らかにした。そして、第4回及び第5回公判午前の2日にわたって法廷で再生された取調べテープは、やっとの思いで自白を撤回して全面否認した菅家さんに対し、「君はずるいよ」などと言って否認を撤回させ、再度自白へと追い込む検察官の取調べ状況を明らかにした。そして、続く第5回公判の午後には、取調べをした当の森川元検事が出廷して尋問に応じたが、「当時の証拠関係から犯人であると考えた」の一点張りで、なぜ全面否認した翌日に、弁護人にも黙って再度取調べに行き自白させるような行動に出たのか、そのことを合理的に説明することはできなかった。更に、菅家さん本人の「謝って欲しい」という直接の要求に対して、謝罪の言葉は結局何一つなかった。

<裁判所の対応と足利事件の今後>
 足利事件における2つの争点であるDNA型鑑定と自白の問題について、再審公判を担う宇都宮地裁は、弁護団の求める新たな証拠調べを実施し、鑑定人の尋問や法廷で2日にわたるテープ再生など、再審公判においては異例ともいうべき証拠調べを実施してきた。もちろん、証拠調べの実施がそのまま誤判原因にせまる判決の裏付けとなるわけではなく、3月26日に予定されている判決がこの証拠調べをどの程度反映したものになるかもわからない。しかし、再審公判が単に早急な無罪の確定を目的とするだけではなく、誤判に至った原因を究明する役割を一定程度もっていると明言し、早期幕引きを狙う検察の意向に反してまで新たな証拠調べを行ったことは、率直に評価すべきであろう。
 究極の科学的証拠と言われたDNA鑑定がなぜえん罪を生むことになったのか、菅家さんがなぜ虚偽自白をせねばならなかったのか。足利事件の教訓が、他のえん罪事件、再審事件における誤判原因の究明に役立てるよう、弁護団としては今後最終判決が出るまで気を緩めることなく進んでゆきたい(なお、後日機会があれば更に詳細について報告したい)。

以上


「取調べ全面可視化」に向けた取り組みの意義とその課題


ウェール法律事務所 石井 逸郎

 私は今年度、二弁の副会長の任にあり、刑事弁護委員会、裁判員裁判実施推進センター等を担当し、三会取調べ可視化実現本部の会議にも出席しました。その立場から取調べの可視化を求める取り組みについて感じているいくつかの問題点について寄稿します。

1、可視化をめぐる情勢
 情勢は、民主党政権に変わりましたが、取調べの可視化については、千葉法務大臣が韓国の現場を視察に行ったなどの動きはあるものの、中井国家公安委員長は「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」を立ち上げこれに日弁連も参加して、法務省・警察当局は、なお新しい捜査手法等も含めて可視化の是非を総合的に慎重に検討するという段階にあります。

2、可視化運動の戦略的位置づけの再検討
 そこで、私たちは、今一度、この問題をどうとらえるべきなのか、整理する必要があるように思います。私には、現状、可視化を求める運動において「可視化」がいつしか運動の目的化しているように思えるからです。しかしながら可視化は、オプション、手段であって、目的ではありません。えん罪という究極の人権侵害を防止するオプションとしては、「死刑の廃止」、あるいはえん罪が被疑者段階での密室での自白強要に一番の原因があるのだとすれば「代用監獄の廃止」や「弁護人の立ち会い」等もありえるわけですが、「可視化」は本来そうしたオプションの一つに過ぎません。
 だからといって、私は可視化を求める運動の意義が小さいと言いたいのではありません。むしろその逆です。
 私は、当面の刑事司法改革の戦略的目標の一つとして重要なのは、裁判所が、密室調書の任意性・信用性を安易に肯定しないようになることだと思います。そして、今がその裁判所の姿勢を大きく変えるチャンスであり、可視化を求める運動は、そのための戦略的オプションとして位置づけるべきではないかと考えています。

3、裁判員裁判において問われる密室調書の意義と、二弁の取り組み
 というのも、裁判員裁判や、被疑者国選弁護の全面拡大、足利事件・布川事件等によって、市民の刑事司法に対する関心はかつてなく高まっています。この点、裁判員裁判では、裁判員が密室調書の任意性・信用性を判断できるはずはなく、調書依存裁判から、裁判員の前での公判を中心とする刑事裁判へとその姿を大きく変えています。すなわち、裁判員裁判が定着すれば、密室調書の意義は相対的に低下することになると思われます。また、裁判員裁判では、密室調書の意義が、評議等を通じて、裁判官と裁判員をはじめとする市民の中で、問われることになります。
 そこで、以上のような状況を勘案して、二弁では、下記HPのとおり、裁判員裁判事件もしくは否認事件の場合、捜査機関に取調べの全過程の可視化を上申するよう、全会員に呼びかけました(http://niben.jp/info/opinion20090610.pdf)。そして、そうした上申書の写しを証拠として裁判所に提出し、上申したにもかかわらず、可視化されていない調書が出てきた場合、その任意性・信用性を否定するよう裁判所に求める、という取り組みを全会員に対し呼びかけています。

4、当面の重要課題
 市民の中には、取調べの全面可視化の強引な導入は、捜査当局を萎縮させ、良心的な警察官の士気にも関わり、かえって治安の悪化を招くのではないか、との素朴な思いがあるように思います。二弁の市民会議では、取調べの可視化をテーマに議論した際、ある市民委員からは、可視化がされていない現状があるからといって、そもそも弁護士はどのような弁護活動をしているのか、きちんと「被疑者ノート」を差し入れているのか、えん罪の背景に被疑者段階の密室調書があるのだとしても、被疑者弁護をしっかりやればえん罪問題は相当程度防げるはずだ、との意見が出ました。もっともな声です。密室調書の意義が相対的に低下する裁判員裁判を導入しても、被疑者国選が拡大されたとしても、なお、可視化を導入しないとえん罪の恐れは拭えない、との理解を社会にどう広げるか、が今後の課題になっているわけです。
 そのための仕掛けが、第一に、日弁連が法務省にその設置を求める「えん罪問題究明調査委員会」という舞台装置です。ここで、えん罪の背景、原因を多角的に検討し、市民と関係各庁との間で可視化に向けた合意を形成していく必要があります。
 第二に、私たち一人一人が裁判員裁判、被疑者国選にどれだけ熱意をもって積極的に関わるか、が重要になるでしょう。私たち弁護士が、裁判員裁判や被疑者国選に誠実に積極的に取り組むことではじめて、可視化を導入しないと構造的にえん罪の恐れは拭えないのだとの私たちの主張が信頼されることになるからです。この点で、最高裁のHPにある裁判員アンケートの結果で、検察官のパフォーマンスに対して「わかりやすかった」との感想が90%にのぼるのに対し、弁護人のそれが60%にとどまっているのは気がかりです(ちなみに東京地裁(立川支部も含む)に限って言うと、検察官95%なのに対し、弁護人33%です。)。この結果について、私は、ここ数年の弁護士会内の、裁判員裁判に対する消極論が大きな背景の一つにあると思っています。急速にこの消極論の克服を含め、弁護活動のスキルアップのための方策を大規模にかつ迅速に実施していく必要があります。まじめに刑事弁護の活動をしない弁護士の主張を市民が受け入れるはずがないのです。すなわち、ここ数年の裁判員裁判に対する消極論は、今後の刑事司法改革の進展にとって明らかに有害的な役割を果たしています。

5、団の役割
 団こそは、取調べの可視化を勝ち取るために、裁判員裁判、被疑者国選に率先して取り組むべきです。そして、裁判員裁判事件や否認事件の場合、捜査機関に可視化を申し入れ、にも関わらず可視化されていない調書ができた場合には、それを証拠採用しないよう裁判所に求める取り組みを呼びかけて欲しいと思います。
 こうした一つ一つの地道な継続的な取り組みこそが、可視化を実現し、代用監獄の廃止の展望を開き、不当な取調べを減らし、密室調書の任意性・信用性を安易に肯定しない刑事実務の定着を実現していくのではないでしょうか。

以 上


世田谷事件 高裁第1回公判で裁判官を忌避!


東京南部法律事務所  佐藤 誠一(弁護団事務局長)

 2008年9月19日、東京地裁(裁判長小池勝雅)は無批判に猿払事件最高裁判決に追随し、宇治橋さんに有罪判決を下しました(罰金10万円)。直ちに弁護団は控訴し、2009年5月29日、高裁第6刑事部に控訴趣意書を提出しました。
 2010年1月14日、高裁の第1回公判が行われました。弁護団は控訴趣意書の陳述を行い、次いで証拠の採否が行われました。その採否にかかわり、弁護団は合議体3名の裁判官を忌避することになりました。

1.証人申請全部却下の暴挙
 弁護団は、控訴審で新たな書証24点(主に学者の意見書・論文、堀越事件の学者尋問調書)、証人6名(4名は学者証人)、そして被告人質問を申請していました。裁判所は、書証については一部を除き採用しましたが、あろうことか、証人及び被告人質問は全部却下しました。
 昨年11月19日の三者協議で、弁護団は証人5人(後に1名追加して6名)及び書証の取調べ申請を予定することを伝えました。それをふまえて第1回期日は2時間半ですが、第2回期日を終日、第3回期日を午後全部、時間をたっぷりとることにしたのです。その後弁護団は書証・証人の取調請求書を提出し、12月24日、裁判官に面会し、学者証人の意見書の提出予定日、及びこの間の学者らとの日程調整の結果を伝え、4月にさらにもう1公判期日を入れるよう要請しました。裁判所はこのように弁護団の公判準備を十分承知の上、しかも学者証人の意見書の提出前(つまりそれを見ないまま)に証人申請を却下したのです。
 このように弁護団と進行について協議をし、弁護団の控訴審に臨む姿勢を十分承知した上で、また学者意見書も近々提出になることを承知の上で、全部の承認申請を却下したのです。

2.事後審は理由になるか
 この裁判所の対応を正当化する裁判所の論理は、控訴審は事後審であること、これ以外にありません。しかしちょっと待ってください。
 猿払事件最高裁判決は1974年11月6日に言い渡されました。それから30年経過した2004年3月3日、堀越事件が発生し、その翌年9月10日、本件が発生しました。両事件の仕掛け人は警視庁公安総務課であり、現場の指揮官はいずれの事件も同課の寺田守孝警部でした。
 猿払事件最高裁判決は、判決直後から学会の批判にさらされ、全く捜査実務に影響を及ぼすことがなく、死文化し、結果、判決以来30年間国家公務員法違反事件としては起訴されることがなかったのです。この30年間、憲法を始めとする学会の研究また国際人権法はめざましく発展しました。猿払事件判決は判決当時からその正当性が疑われてきましたが、判決後の経過からすれば同判決は見直されなければならない運命にあったのです。仮に堀越事件そして本件で、裁判所が猿払事件最高裁の判断を維持するとしても、これら学会の研究また国際人権法の発展の成果に照らして判断されなければならないことは、いうまでもありません。
 同じ「事後審」であっても、堀越事件を審理した東京高裁第5刑事部は、10回の審理で証人10人を取り調べました。うち証人8人は学者証人でした。この審理の経過は、事件の重要性をそれなりに踏まえたもので、猿払事件を現代に問う最高裁の判決を仰ごうとするものではないでしょうか。堀越事件と本件とは、最高裁での同時判決が見込まれます。本件においても最高裁の判断を仰ぐにふさわしい控訴審の審理が必要でした。しかし堀越事件とは全く対照的に、本件を担当した高裁第6刑事部は、真摯さ誠実が全く見られません。

3.高裁合議体の右往左往
 弁護団は、証拠決定に対する異議を述べると同時に合議体3人の裁判官全員の忌避を申し立てました。この申立はその場で簡易却下され、弁護団は後日異議申し立てを行いましたが、これも却下され、現在最高裁に行った特別抗告に対する判断待ちです。
 高裁の第1回公判で、弁護団が忌避理由を述べた後、裁判所が申立を簡易却下してからも、弁護団は合議体に対する抗議の弁をこもごも行いました。合議体は立ち去ることもせず、弁護団の抗議にさらされていました。しばらくして「閉廷します」と告知してからも、やはり立ち去りませんでした。傍聴席から、「こんなもの裁判の名に値しない!、「あんたらは裁判官の名に値しない!」などなど、次々に抗議が、またヤジが飛び交い、法廷は騒然とした雰囲気に包まれました。閉廷を告知する前は、裁判長は傍聴者の発言に対しては、「静かに、発言はやめるように」と注意してましたが、閉廷後のヤジには格別の対応もしませんでした。できなかったのでしょう。
 合議体は、忌避は却下しても学者の意見書は取り調べが請求されれば判断するといい、また次回期日で何をするのかも、閉廷前に告知できませんでした。
 閉廷を告知した後で、「次回は弁論をお願いします」と裁判長がボソッと言いましたが、弁護団は返事していません。閉廷後、そのほかにも裁判長はあれこれ弁解していました。学者意見書は証拠採用するから、それでいいではないか、というようなことも言ってたようです。ふざけた話しです。
 後から振り返ってみると、地裁ではなかった傍聴券配布事件となっていたこと、警備の者が傍聴席の両サイドに二入、交替しつつ待機していたこと、これらは申請証人全員却下の前触れだったのでしょうね。

 今後「忌避」がどうなるかですが、却下が確定した場合でも、弁護団はなお歴史的事件にふさわしい審理をなお求めて行く所存です。

以上


「猿払の呪縛」を解く!
東京高裁判決を迎える国公法弾圧・堀越事件


東京法律事務所 加藤 健次

 03年11月の総選挙の時期に、社会保険庁職員の堀越明男さんが日本共産党の「しんぶん赤旗」号外などを配布したことが国公法違反であるとして、逮捕・起訴されてから6年が経過した。一審の東京地裁は、06年6月29日、堀越さんの行為が「行政の中立性とこれに対する国民の信頼を侵害したり、侵害する具体的な危険を発生させたりするものではなかった」と認めながら、猿払事件最高裁判決をそのまま踏襲して、国公法・人事院規則は合憲であるとし、結局、有罪判決を言い渡した。
 その後、東京高裁の3年余にわたる審理を行い、09年12月21日に結審し、本年3月29日に判決が言い渡される。

高裁での実質審理〜事実と論理の両面から
 弁護団の獲得目標は、一言で言えば、裁判官を「猿払の呪縛」から解放することである。国家公務員の政治活動を一律・全面的に禁止することが表現の自由や政治活動の自由を侵害するするものではないのか。堀越さんの行為が本当に刑罰に値するものなのかどうか。裁判官が30数年前の猿払事件最高裁判決に囚われず、普通に考えれば、無罪の結論しかないはずである。
 高裁では、事実と論理の両面から、実質審理を行わせることが第一の課題であった。
 この点では、10名の証人尋問を実施するなど、充実した立証を行うことができた。中山裁判長も、この事件について本格的に取り組む姿勢を見せた。
 事実面では、国公労連元副委員長の山瀬徳行証人と郵産労元委員長の田中諭証人によって、公務員の現場の実態を明らかにし、公務員の政治活動の自由を規制しないと「公務の中立的運営と国民の信頼」が損なわれるという猿払判決の論理がいかに空疎な観念論であるかを具体的に論証した。
 長岡徹証人(憲法)、岡田正則証人(行政法)、曽根威彦証人(刑法)は、国公法・人事院規則の違憲性、堀越さんの行為が本来刑罰で規制されることが許されないことをあらためて明らかにした。
 西片聡哉証人(国際法)は、欧州人権裁判所の裁判例に照らして、国公法・人事院規則が国際人権規約違反であることを明らかにした。また、石村修証人(憲法)、晴山一穂証人(行政法)、榊原秀訓証人(行政法)によって、独・仏・英の公務員法制の実態が解明され、欧米諸国の法制と比べても、国公法・人事院規則による規制とりわけ刑罰による規制が異常なものであることが浮き彫りになった。
 川崎英明証人(刑訴法)は、盗聴法に関わる議論も紹介しながら、本件捜査が本来許されない「事前捜査」にほかならないこと、盗撮ビデオが違法収集証拠であることを明らかにした。

盗撮ビデオ等の開示をめぐって
 高裁でのもう一つの課題は、未開示の盗撮ビデオ等を開示させ、「捜査」に名を借りた公安警察の違法な活動をより明らかにすることであった。
 堀越事件では、公安警察が、大量の人と機材をつぎ込んで、堀越さんの行動を文字通り24時間監視し、ビデオ撮影を行ったことが大きな特徴である。一審で検察官が「犯罪立証」の証拠として請求した9本のビデオは、公安警察の執拗な活動を明らかにするものであった。高裁では、検察官から開示されていないビデオテープ等の証拠の開示が大きな問題となった。
 再三の開示請求と裁判所に対する要請運動によって、裁判所は22本のビデオ等の証拠の開示を勧告し、弁護団に開示がなされた。開示されたビデオには、一審判決ですら違法と断じた日本共産党千代田地区委員会だけを撮影したビデオが11本、中央区議会議員のまりこ事務所への出入りを撮影したものが14本あり、一部でもビラ配布行為が映っているものはわずか4本にすぎなかった。開示を実現させたことは大きな成果である。
 しかし、開示をめぐって裁判所の基本姿勢に関わる問題が生じた。
 一つは、裁判官が開示証拠の「目的外使用の禁止」の範囲をきわめて広く解釈し、裁判関係者以外に提示することを禁止する条件を付けたことである。弁護団は、検討の上、開示を優先する立場から不当な条件を認めることにした。しかし、「目的外使用の禁止」が裁判の公開や報道の自由さらには大衆的裁判闘争の見地からみて、きわめて深刻な問題であることをあらためて実感した。
 もう一つは、裁判所が、理由も述べず、ビデオ等の取調請求を全面却下したことだ。裁判所自らが開示の必要があると考えて開示勧告をした証拠の取調を拒否し、闇に葬り去ろうとしたのである。これは、裁判官が捜査機関に対して説明しようのない「配慮」をしたとしか考えられないものであった。このような態度では、とうてい公正な判断は望めない。そこで弁護団は中山裁判長ら3名の裁判官に対して忌避の申立をした。忌避申立は簡易却下され、高裁への異議、最高裁への特別抗告も棄却された。しかし、このような裁判所の姿勢に対しては、今後も断固たる批判を続けていかなければならない。

時代を開く判決をかちとるために
 弁論では、猿払事件を担当した山本博団員、松川事件などを担当した竹澤哲夫団員も陳述を行った。山本団員は、国公法は、国会がまともに判断できない占領下に押し付けらた時代の遺産だと述べ、そういう国会が理性を失った時期に出来た法律については、裁判所が理性を発揮すべきだと強調した。竹澤団員は、最後に「なによりもまず 正しい道理の通る国にしよう この我等の国を」という広津和郎さんの言葉で締めくくった。この国のあり方とか歴史認識とか、そういう非常に大きなものが背景にある事件なのだと言うことをあらためて実感させられた。
 政権が変わって、国際人権規約の個人通報制度も批准されるかという時代を迎えている。「公共の福祉」だとか、「公務員の政治的中立性」を振りかざせばよいという時代はとうに終わっているはずである。過去に大激論となった猿払事件も、徳島郵便局事件も、大坪事件(高松簡易保険局事件)も、みんな郵便局が舞台だ。郵便局も、堀越さんが働いていた社会保険庁も、民営化された。仕事の中身はそのままで、何の議論もなく政治的行為の禁止規定の適用はなくなった。規制のない今の姿こそが本来のあり方なのだ。
 最高裁は、昨年11月30日、葛飾事件について、弁論も開かず上告棄却の不当判決を言い渡した。しかし、その直後の12月4日には、日比谷公会堂に1600名が参加して言論表現の自由を守る決意を固め合った。こうした世論をさらに広げ、裁判官を「呪縛」から解放し、時代を切り開く判決を勝ちとるために引き続き奮闘する決意である。

以上


布川事件、再審公判へ


八王子合同法律事務所   飯田 美弥子

1 やっと再審開始
 昨年(2009年)12月14日、最高裁判所第2小法廷は、再審開始を阻止しようとする、検察側の特別抗告を棄却する決定をした。
 これにより、2005年9月21日に水戸地方裁判所土浦支部が、また、2008年7月14日に東京高等裁判所が、それぞれに出した、再審開始の判断が確定し、2001年12月6日の再審請求から始まった再審請求審は、ようやく、再審開始という結果で終了することとなった。
 特別抗告審において、検察側から提出されたのは、2008年12月1日付の特別抗告理由補充書1通であったから、複数の証人調べまで行った上で出された、地裁・高裁の各決定が、前記補充書1通程度で覆るとはおよそ考えにくいことではあった。
 最高裁事務方との交渉で、年内には決定が出る、という感触を得ていた弁護団の各人は、きっと特別抗告棄却の決定が出るだろう、とは思いながら、11月も過ぎ、12月になっても、音沙汰のない日が1週間、10日と過ぎると、徐々に「なぜ出ない?」と苛立ちと嫌な予感を覚え始めていた頃に届いた朗報であった。(「特別抗告棄却です。」と知らせを聞いたときは、一瞬、負けたのかと思って、足がすくんだ。)
 地裁・高裁決定のときと違い、大喜び、大興奮というよりは、ほっとした、というのが、大方の感想だった。
 次こそ、いよいよ、再審請求人らの「強盗殺人犯」という汚名が雪がれるかどうかが争点となる、再審公判である。

2 布川事件とは
 1967年(昭和42年)8月に、茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件につき、無実の桜井昌司さん、杉山卓男さんが犯人として逮捕・起訴され、無期懲役の有罪判決が確定した、冤罪事件である。
 上記再審請求人である両名が、事件現場にいたことを示す客観的証拠(遺留品、指紋や毛髪)さえ、何一つない。強取された被害品が何なのかすら、実はあやふやである。当然、近接所持の事実もない。
 犯行の裏付けとされているのは、一つが、司法研修所の白表紙に、「犯行の中核部分に変遷がありながら、有罪に維持された事例」として、特に紹介されているほど、普通ならば真実の自白であるかが疑われるべき、変遷著しい自白の存在である。普通ならば自白の信用性が疑われるべきなのに、昭和40年代には最新技術であった、取り調べを録音した「録音テープ」の存在によって、自白の任意性・信用性が肯定されたケースとして、分類されているのである。
 もう一つの犯行の裏付けは、現場付近で再審請求人らを目撃した、とされる複数の目撃証人の存在である。
 目撃者の存在は、一見、客観的な証拠のように見えるが、現場付近というところが味噌であって、狭い布川の町では、国鉄の最寄り駅から現場に至る道筋など、再審請求人らでなくとも、町の人が、日常、頻繁に利用する地域なのである。駅や橋に至る川の土手などでの目撃証言は、犯行日ではない、別の日の可能性が高い。
 他の目撃者よりは現場に近い地点で、再審請求人らを目撃した、とする目撃証人は、公判で被告人ら(当時)が犯行を否認してから、突如として現れた証人であった。その登場の仕方も不自然なら、その証言も、被告人らを有罪とした、当時の控訴審裁判所でさえ、行きと帰りに見た、という証言内容のうち、帰りについては信用できない、としたほど、これまた変遷極まりないものなのである。
 しかしながら、再審請求人らは、その、自白と目撃証言によって、最高裁判所でも有罪とされ、29年間も、獄中生活を強いられたのだった。

3 今時の再審請求の特徴

(1)  前項で述べたとおり、布川事件には、有罪認定の決め手となる物証がない。
 名張毒ぶどう酒事件における一升瓶の王冠とか、足利事件におけるDNA鑑定の結果といった、明瞭なターゲットがない、という点が、布川事件の特徴であり、有罪認定を覆す上での難しさであった。
 弁護団は、一点突破ではなく、あらゆる論点で、検察側の立証の不合理性を衝いて行かざるを得なかった。
 再審申立の大きなテーマは、自白の内容が、死体や現場の客観的な状況と一致しないこと、目撃証言は、視認状況・記憶のメカニズムからして、信用性が低いことであるが、そのための論点は多岐にわたった。
 それにしても、40年も前の事件について、弁護団が得ていた資料は余りにも限られていた。
 再審請求人らは無実なのであるから、必ず無罪方向の証拠が隠されているはずだ、と信じて、弁護団は、再審申立の後、間もないうちから、繰り返し繰り返し、証拠開示の要請を行った。証拠開示請求は、既に出されている資料を精査することによって、この調書の前の調書があるはずだ、とか、再審請求人らが毛髪を採取されたと言っているのに、それに関する資料がないのはおかしいとか、具体的な特定をして行った。
 その結果、一審、即時抗告審を通じて、100点近い資料が開示された。
 そして、やはり、開示証拠に無駄はなかった。
 たとえば、自白の信用性を裏付けるはずであった録音テープからは、調書記載の取り調べ時間に比べて、テープの録音時間が短いことがわかり、専門家による音の波形の分析によって、編集痕があることまでわかった。
 検察側が、敢えて隠していた目撃証人の調書も出された。再審請求人らをよく知る人で、現場で見た2人組は再審請求人ではない、という供述を、検察側が変えさせることができなかったが故に、隠されていたこともわかった。
 このような立証の状況を踏まえての、地裁決定・即時抗告審決定であったのだから、即時抗告審が棄却された時点で、既に勝負はついていた、というのが、実情だったのである。
(2)  検察側の特別抗告は、面子のための行動だったとしか思えない。
 特別抗告審で出された書面も、冒頭に書いたとおり、内容の薄いものであった。
 すなわち、「新証拠とされた物のうち、既に以前から存在していた物は、新規性がない」と言い、「新証拠と旧証拠を総合評価するときは、かつての裁判所の心証にみだりに介入することとなり、判例に違反する」などと言うのである。
 弁護団の心配は、最高裁が、検察官が証拠を隠して裁判所に認定させた有罪であっても、裁判所の権威に固執して、維持してしまわないか、という点だけであった。
 特別抗告棄却の決定が出されたことは、最高裁の良識を見た思いであって、心底、ほっとしたのである。

4 これから
 再審開始が確定したことはめでたい。しかしながら、再審申立から、既に丸8年が経過している。
 20歳と21歳で逮捕され、既に、いずれも60歳を超えた再審請求人らにとって、8年という月日は重い。
 弁護団の中でも鬼籍に入られた方々がおられる。
 再審公判を早期に決着させ、「強盗殺人は無罪」という判決を取るまで、まだまだ検察側の抵抗が予想される。裁判所の訴訟指揮も、予断を許さない。
 刑事裁判制度が大きく変わりつつある現在においても、国民の不断の監視がなければ、かつてと同じ過ちが繰り返される危険性はある。
 再審という、弁護団員にとっても未知の手続ではあるが、世論の応援も受けながら、攻勢的に闘って行く決意である。

以上


横浜事件再審(3次、4次)で刑事補償決定


第一法律事務所 竹澤 哲夫

 横浜事件の免訴が確定したことに伴って請求していた刑事補償法に基づく刑事補償の請求について、横浜地裁第二刑事部(裁判長 大島隆明、裁判官 五島真希、同 水木 淳)は2010年2月4日、請求を全面的に認容する旨を決定した。決定書の交付は第4次が同日午前9時20分、第3次が午前10時と分けてなされた。

1 実質無罪
 刑事補償法によると、無罪判決が確定した場合、身柄の抑留又は拘禁の日数に応じた補償がなされるが、免訴の場合でも「免訴の理由がなければ無罪判決を受けたと認められる場合」は補償が認められる(刑事補償法25条、4条2項)。
 したがって本件決定における注目点は、本件刑事補償の決定にあたって、どこまで踏み込んで横浜事件の実体について判断を示すか、にあった。
 請求二審の決定が確定判決の主要唯一の証拠が拷問によるものであることを詳細に認定し、この認定について検察官が争うことなく確定していることなどを背景として、今回の決定は横浜事件が実質無罪であることを詳細明確に判断を示している。前代未聞の悪法である治安維持法1条、10条の主観的要件にそくして分析されている。
 そして決定は下記のような「小括」を経て「結論」する。

 「小括
 以上のような事情を下に、刑事補償法4条2項に従って検討すると、被告人4名が受けた財産上の損失、肉体的、精神的苦痛は甚大であって、本件における各機関の故意過失も重大であることに照らせば、被告人4名のそれぞれについて、上記拘留又は拘禁されていた日数に応じて、法で定められた上限である1日1万2500円の割合による額を刑事補償として交付するのが相当であるので、その補償額は下記のとおりになるところ、請求人ら及び参加人らはいずれも本件の各被告人の相続人であるから、その各被告人の刑事補償を請求する権利を有することになる。

結論
 よって、刑事補償法16条前段により、請求人ら及び参加人らに対し、主文掲記の金額を交付することとし、主文のとおり決定する。」

2 横浜事件・裁判所の責任
 横浜事件における特高の拷問については請求二審の決定等がすでに詳細に認定し、確定している。
 注目は裁判所の責任にあった。
 決定は、この点について次のとおりの判断を示し、結論する。

 「横浜事件の被疑者らに対する特高警察による拷問の事実等を見過ごしたまま同人らを公判に付したことにつき、予審判事に少なくとも過失があったというべきである。
 横浜事件の被告人らは、終戦前後にかけていくつかのグループに分けられた上、集団で短時間の審理を受けており、中には従前の供述は拷問による虚偽のものであるとしてこれを覆そうとした者もいるが、これを聞き入れてもらえることなく、十分な審理がなされないまま即日判決を受けていた者が多数いたことがうかがわれる。その背景には、敗戦直後の混乱期において、確定審裁判所に、劣悪な環境の施設に収容され、生命や健康を脅かされていた被告人らを早期に釈放しようとする目的があったとも考えられるが、そのような目的だけであれば、保釈や勾留の取消し・執行停止等の手段で釈放することもできたはずである。確定審裁判所が被告人らの各供述について慎重な検討を行った形跡は認められず、かえって、総じて拙速、粗雑と言われてもやむを得ないような事件処理がされたものと見ざるを得ず、慎重な審理をしようとしなかった裁判官にも過失があったと認めざるを得ない。
 以上からすると、被告人4名に対する有罪判決は、特高警察による暴力的な捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結したものと評価することもできるのであって、警察、検察及び裁判の各機関の関係者の故意・過失等は総じて見ると重大である。」

3 治安維持法犠牲者全員の全面救済に向けて
 横浜事件で拷問を受けた犠牲者は約60名。全員が同様の拷問を受け劣悪な留置環境を強いられた。根拠とされたのが治安維持法1条、10条、その問題点と悪法性について決定はふれている。治安維持法犠牲者全員の救済に向けての斗いの足場は築かれた。

以上


葛飾ビラ事件で最高裁が不当判決ビラ配布の権利を守る闘いに向けて


東京東部法律事務所   後藤 

 葛飾ビラ事件で、最高裁は2009年11月30日荒川さんの上告を棄却し、有罪とした東京高裁の不当判決が確定することになった。
 葛飾ビラ事件は、僧侶である荒川庸生さんが日本共産党の都議会ニュースや区議団の区民アンケートをオートロックのない民間マンションのドアポストに投函するためマンション内に立ち入った行為が住居侵入罪に問われたものです。周知のとおり、ポストに宅配ピザ等の様々なビラ・チラシが配布されています。荒川さんが逮捕勾留され、起訴されたのも、配布していたのが日本共産党のビラであったことが理由であり、この事件が言論弾圧事件として強い批判を受けたのは当然でことです。

(1)  最高裁判決では、まず弁論も開くことなく判決を言い渡した手続上の問題が指摘できる。
 本件は、重要な憲法上の権利に関わる事件であるとして、大法廷に回付し弁論を開き双方の意見をきちんと聞くべき事件である。また、本件の重要性、その判決結果が国民に及ぼす影響を考えれば、15人全裁判官が関与する大法廷に回付されるべきものである。しかるに、最高裁第2小法廷は大法廷へ回付することなく、また一度も弁論を開かないまま判決を言い渡した。
(2)  もちろん、判決の中身も極めておそまつなものである。
 本件が憲法上の表現の自由が問題となることはもちろん、刑法上の問題としても、住所侵入罪の成立には「正当な理由」とは何を言うのか、「侵入」とはどの様な場合をもっと侵入というのかなど、非常に重要な論点が含まれていた。とりわけ、本件は、民間マンションの共用部分にビラを配る目的で立ち入るという行為が商業ビラが多数配られている現実の中で、果たして刑事罰の対象となるのかという最高裁でも初めて判断が下されるという事件だったはずである。また、マンションへの立入を禁止するという意思決定が、管理組合のどのような手続きをとれば許されるのか、またはどのような手続きをとっても許されないことなのか、最高裁として、重要な判断を求められていたはずだった。
 しかし、判決は、ポスティングをめぐる様々な事実を総合的に衡量し、住居侵入罪の「正当な理由」や「侵入」とは何かということにつき慎重に検討した形跡すらない。また、表現の自由についてもたとえ表現の自由の行使であってもそこに管理組合の意思に反して立ち入ることは管理権を侵害するというだけ、何の説明もなく管理権や私生活の平穏を言論表現の自由より優越するものであるかのようにその制限を認めている。最高裁第2小法廷は、本件に先立ち立川事件で有罪判決を言い渡しているが、弁護団は立川事件とは多くの点で本件とは異なる事案であることを指摘し、最高裁に慎重な判断を期待した。しかし、本判決の憲法判断に関する部分は立川事件の判決をほとんどそのまま引用したものであった。

 今後は、ビラ配布の自由を守る立場からこの不当判決にどう立ち向かうかいうことが今後の重要な課題となる。

(1) まず、国際自由権規約の選択議定書は批准させ、個人通報制度は実現を目指すことである。
(2)  そして、判決によるビラ配りへの萎縮効果を最小限に抑えるということである。
 この判決が荒川さんの有罪を宣告したことじたい容認できないことであるが、この判決がビラを配っている現場で干渉への根拠になることが懸念されます。
 判決は、荒川さんがマンションの7階から3階まで各階廊下と外階段を通ったことに照らすと、法益侵害の程度が極めて軽微であったということはできない、と述べている。逆に言うと、いわゆる集合ポストへの投函であれば法益は極めて軽微であり住居侵入には問えない、と解されるのである。こうした読み方は、最高裁のHPに掲載されている裁判内容にも上記部分が刑法・憲法のそれぞれの判断部分に2度にわたり引用されていることからしても、十分根拠のあることである。
 ビラ配布の現場では、早くも本判決の影響で「ビラ配布に苦情が来た」、「配布する立場からも「マンションへのビラ配りはやめた方がいいのか」、といった声が聞こえてくる。こうした中で、本判決をもって、あたかもマンションへのビラ配布が一切できないとった誤解が広がり、集合ポストへの配布も自己規制するということになれば、まさに警察・検察当局は集合ポストへのビラも検挙することなく抑圧できることになってしまう。弁護団は、こうした動きが広がらないよう宣伝活動に取り組み、今後とも、堂々とビラを配ることにできる運動に取り組む決意である。

以上

 
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